My Stage 令和72月改訂  



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旅の終わり





-10月30日-
 一般のツアーでも訪れるウィーンとブダペストにも立寄りました。こういう都会では通常のツアーのようにお上りさんよろしくバスで観光地めぐりです。ウィーンは小雨だったせいもありますが、ハプスブルグのご威光に押しつぶされそうでちょっと重苦しい印象でした。対してブダペストは快晴。威圧的な建物も少なく夜景も綺麗で、再訪してのんびり歩いてもと思える町でした。帰路もドバイ経由。こういう旅をしてしまうと一般のツアーやエコノミーでの往復は、もう辛いですね(涙)。
暮らすように





-10月28日-
 利用したセレナーデ号は春と秋に日本からのツアー客を乗せてライン川やドナウ川などを巡るために三越伊勢丹が設計したクルーズ船。部屋は日本のホテルとほぼ同じ仕様になっていて、異なるのは十分な収納スペースと長傘が備えてあること。午前は見物に出掛け昼過ぎに「自宅」にもどって、午後はゆっくり休憩、読書、洗濯、日本のニュース視聴など。ランチもディナーも基本はコース料理なのでちょっと飽きますが、大好きな茄子の煮びたしや稲庭うどんなどの和食もありました。
秋色の渓谷を行く




-10月26日-
 ドナウ川には17もの閘門があって、そのたびに船は一時停止を余儀なくされます。つまり源流から河口まで17段の階段になっています。これは初めて知りました。川沿いには古い交易の町や修道院や教会を取り囲んで静かに息づいている町などが点在していて、のんびりと散策するには恰好の場となっています。パッサウ、レーゲンスブルグ、ランツフート、デュリュンシュタイン、エステルゴム、ヴィシュグラードなど。
年齢相応に





-10月24日-
 以前は、列車を乗り継ぎホテルを探しながらの一人放浪を楽しんでいたのですが、昨今すっかり堕落して今回もツアー。三越の顧客を中心に各地から集まった時間とお金に余裕のある(小欄を除く)総勢84人の参加者に6人の添乗がつくなど、一般のツアーとは一味違う至れり尽くせりの内容です。参加者の年齢や境遇、価値観それに旅行経験などが似通っているので、居心地のいい旅でした。前半は天候ゆえのかなりの予定変更がありましたが、それもまあお楽しみ。文句を言う人もなし。
エミレーツ





-10月22日-
 欧州へ出掛けるのは20年ぶりでしょうか。今回はエミレーツ航空でドバイまではプレエコ。さすがに大富豪アラブ首長国連邦だけあって、座席回りや食事、食器に至るまで、どこやらの田舎航空のビジネスなみでした。最近はモニター画面の内容も充実していて、尾翼上部のカメラからの映像などは、自分が空を飛んでいるようで爽快。おもしろかったのは次のお祈りまでの時間とお祈りの方向が画面に出ること。もっともシートベルトをしたままどうやってお祈りをするのかは不明。
京王線





-10月20日-
 きっかけは初代5000系の前面デザインが気に入ったからですが、ファンになったのは、在京私鉄のなかではこじんまりした会社で、路線網と沿線住民の二次的生活空間が重なっていて、我が町、我が電車という雰囲気があるからです。目立つ町があるわけではないのですが、深大寺、府中、百草園など、1500年以上前からの歴史がさりげなく随所に残っているのも魅力。もし東京に勤務先があったら京王線沿線に住みたかっただろうななどと、今月の「アド街」の特集を見て思いを新にしました。
宴のあと




-10月18日-
 前夜からの大行列という異様な人出を最後に万博閉幕。黒字になったのはよかったですが、「死に券」問題などテクノロジーへの過信が目立つ大会でもありました。どれだけ精緻に設計したとしても想定通りにはいかないのが人の世の常。「いのち輝く~」もいいのですが、一方で現代文明への問い直しが始まっている今、それをテーマにした展示があってもいいはずです。でも、そんなパビリオン、閑古鳥が鳴くでしょうね。
やっと静かに




-10月16日-
 今日はとくに用務はなかったのですが、情報交換のためにERPへ行きました。万博が終わったので、大阪市内は外国人の姿が減り心なしか人出が減ってきたようです。やっと日常がもどってきた感じです。今日は古川、鍛治田先生のほか、前編集長の宮坂先生も来られていて、教育新聞社の人もまじえて愉快な会となりました。文科関係の政界の内幕や教育団体の人間模様、昨今の連立騒ぎの真相など。例によって談論風発。
ピンク本




-10月14日-
 小欄の名を一躍世間に知らしめた(爆笑)『提案する社会科』いわゆるピンク本が、このたび(初版から数えて)33年ぶりに復刻されました。先日、現物を手にしましたが、紙質が変わっているので、以前より引き締まって立派な本に感じられました。復刻に奔走してくれたのが、高知時代の仲間の茂松清志先生で、彼はいまもあちこちの研究仲間と連絡をとりあって「提案型」の普及に尽力してくれているとのことです。
石破さん・2





-10月12日-
 前項の「所感」ですが、「なぜ戦争に突入してしまったのか」という問題提起はいいのですが、戦争というのは相手があることで、当時の世界情勢を抜きにして国内のいざこざだけを分析してみたところ意味をなしません。『教育PRO』11月号の拙稿「閑言録・余筆」で紹介している小学校の授業では、同じ問題意識に立ちながらも、満州経営の是非や日英同盟破棄の是非など、子供たちは多方面から論じています。いやべつに石破さんのオツムが小学生以下だなどと言うつもりはありませんが。
石破さん





-10月11日-
 せっかく「戦後80年所感」を用意したのに、公明党の連立離脱騒ぎ、台風、ノーベル賞、ガザ停戦と大きなニュースが重なったので、結果、小さな扱いに。可哀そう。それはともかく、「所感」では文民統制の大切さを謳っているのですが、「文民」という言葉を敢えて使う意図が測りかねます。「文民」をめぐっては日本国憲法九条2項と六十六条2項との論理矛盾がかねてから指摘されていて、わが憲法の欠陥の一例とされてきました。総理大臣がこの憲法論議をご存じなかったとすれば…。
トイレットペーパー





-10月9日-
 先日宿泊した徳島のホテルのトイレに「トイレットペーパーをゴミ箱にすてるな」とイラスト入りの注意書きがありました。日本人ならそんなことはせずにトイレに流してしまいます。思い出したのはコスタリカの安ホテル。逆に「ペーパーはトイレに流さずゴミ箱に捨てよ」という注意書きがありました。下水処理能力や紙質の問題がある地域では、トイレに流されると困るらしいのです。ということで、この徳島のホテルにもたくさんの外国人旅行者が訪れていることがわかりました。
御用だ!





-10月7日-
 ある県の実践に詳しい大学教授によると、「どこも教育委員会の指導のもと指導要領にきちんと準拠した授業づくりを目指していて、おもしろい研究は見当たらない」とのこと。ご本人も「御用学者」になり果てているとか。教委からすれば「合わせる」のも大切でしょうが、それは8割ぐらいにして2割ぐらいは突出型研究を励ましてほしいものです。50年前、兵庫県教委は教室にコンピュータを持ち込むというトンデモ研究を支援してくれました。それが今日の教育DXの幕開けとなりました。
よくまあ…




-10月5日-
 「抗日戦争勝利80周年」と中国がここのところ宣伝していますが、当時日本が戦った相手は(のちに台湾に逃れた)中国国民党で、中国共産党はその国民党とこぜりあいをしていたのみです。だいいち、当時、中華人民共和国なんて存在していませんでした。昨日、自民党総裁に高市早苗氏が選出されたのを受けて中国が「理性的な対応を」と注文をつけていました。まずいですよね、理性的対応なんてやっちゃあ(笑)。
徳島の夜




-10月3日-
 明日からの学会を機に、鳴教大院の小ゼミ修了生が福岡から、高知から、岡山から駆けつけてくれ、地元徳島の2名を加えて、両国の居酒屋で楽しい飲み会となりました。いずれも教育現場や教師教育、教員養成については表も裏も知り尽くした面々で、しかもいずれも現在の教育界については一家言も二家言もある猛者ばかりでしたので、酒が進むにつれて狭い座敷は咆哮に満ちて、店の人はさぞかし驚いていたでしょう。
秋空のもと





-10月1日-
 馬のことはわかりませんが、昨日は天が高く澄み渡ってそこにいろんなカタチの大きな雲が点在して、オーストラリアあたりの大平原の写真にありそうな空模様でした。教育新聞社の車に同乗させてもらって京都女子大へ。景観条例のためか高層の建物がなく、東山の麓の緑に囲まれてレンガ造りの小ぶりな校舎が点在していて、どこか隠れ家レストランのような雰囲気でした。この大学が浄土真宗の系列だったのを初めて知りました。カフェテリアは女性だらけ。当然ですがどこか困惑。