My Stage 令和4年9月20日改訂  





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マスク





-2月28日-
 先の旅行の実質的な初日、首都サンホセの街歩きに出かけたとき、妙なたとえなのですが、ズボンの前のチャックを締め忘れているのではないかという不安に襲われました。じつはその原因はマスク。外出時のマスクがもうすっかり習慣化していたので、マスクなしで外に出ると恥ずかしさというか軽い罪悪感というか、そういう気持ちがしばらく抜けませんでした。帰国してみると、相変わらず町はマスクだらけ。それはそれで奇妙な風景でした。法治主義ではなく「衆治」主義の国です。
コスタリカに思う②





-2月26日-
 コスタリカが非武装だというのを受けて、ここを理想の平和国家だと持ち上げて日本も見習えというネット書き込みがあり、小欄は授業で「あほか」と批判していたのですが、実際に現地の人に聞いてみたら、やはり現実は「軍隊を組織するほどの金がないので、侵略などが万が一あったらアメリカに対処をお願いする仕組み」とのこと。それにコスタリカと日本では安全保障環境がまったく異なります。そういう差も認識しない「反戦=平和」という単純な発想はウクライナで瓦解したはず。
コスタリカに思う①





-2月25日-
 コスタリカはさすがに環境保全で売り出している国だけあって、あちこちに関係のポスターや指示が見られました。印象深かったのはトイレに何も流してはいけないこと。ペーパーはすべて傍の袋に回収です。もっともこれは下水処理能力の不十分さもあるのですが。豊かな自然で稼ぐという国ですので、政府の環境政策も徹底しています。鳥やその他の動物がごく自然に町のなかで暮らしています。日本も見習えと言われそうですが、開発や工業化が進みすぎた日本ではそれは無理でしょう。
送別会





-2月23日-
 今日は当初の予定では法事に参加することになっていたのですが、体調のこともあって日曜日に延期してもらって自宅で静養としました。時差ボケ以外の問題点はないので、夜の送別会には思い切って出かけました。関西福祉科学大学関係のお二人の送別会だったのですが、当時コロナ発生で送別してもらえなかった一昨年転退職の小欄を含む2名も併せて祝ってくれました。梅田のヒルトン。このメンバーはまったくいい仲間で話の波長がピッタリあうのです。記念品は「大吟醸」グラス。
Nさんとすきやき





-2月22日-
 コロナ的症状はないのですが、時差ボケと思われる倦怠感、違和感が抜けません。考えてみると実質18日間も時差マイナス15時間で生活していたのですから当然かと思われます。普通ならしなくてもいい保険関係の書類の整理などがあり、ただでさえ頭の回転がにぶっているのに大変です。お昼はご近所のNさんをすき焼き御膳にご招待しました。彼女に鍵を預けておいたので郵便物や新聞などを完璧に処理してくれました。感謝感謝の一言です。あとはこのブログのアップですが、これが難物。
帰国2日目




-2月20日-
 予想外に早く目覚めました。朝食は近所の喫茶店で特別に作ってもらったミックスサンド。やはり日本のパンはおいしいです。今日は一日洗濯デー。天気もまあまあでしたし、室内暖房も利用したので衣類の入れ替えはほぼ終わりました。夜は近所の和食処で楽しみだったせいろ蒸しをあじわいました。事前から想像していたのですが、やはり中南米系の食事は小欄には合わないですね。体調回復は50%程度です。
帰国




-2月18日~19日-
 帰国の日。土曜日なので朝食が7時半からということであきらめて8時の送迎バスで空港へ。チェックインは非常にスムーズで出国審査もスムーズ。時間がたっぷりあったのでラウンジで遅い朝食。昼前に離陸した成田行きはほぼ満席でした。機内食は粗末。どこの航空会社も以前のような豪華なメニューはなくなりました。成田で鴨南蛮そばを食べて一息ついて国内線で伊丹へ。幸い気温11℃。帰宅は10時すぎ。
コスタリカを離れる




-2月17日-
 午前中はホテルの部屋でのんびり。昼過ぎに空港に向かいました。チェックインカウンタ―で伊丹までの搭乗券が出たときには「ああ、これで帰れる」と感動しました。ビールとパンの昼食をすませ14時52分のAAで出発。国際線とは言えシートピッチは狭く毛布もなし。飲み物だけで食事もなし。田舎路線です。またまたダラスへ。往路ほどではなかったですが寒かった。送迎バスでホテルに向かいました。
サンホセへ




-2月16日-
 隔離期間は終わっていないのですが、14日はホテルを抜け出し昼食にはステーキを食べて元気回復。この国でもバレンタインデーは結構にぎわっていました。新しいホテルに引っ越し。ここは部屋も広く熱い湯も出たのですこし環境は改善しました。再度のPCRは必要なくなり隔離期間が過ぎたら出国可能になったので大助かり。今日はサラピキの自然観察園経由で首都のサンホセへ。最後のホテルは豪華。
幸か不幸か





-2月14日-
 フルーツと味噌汁以外は口にあうものがなく基礎代謝ギリギリで生活をしていたのでかなり痩せました。しかしコスタリカの印象は悪くありません。スペインよりもホワッとした感じで身構える必要もなく、日本的な落ち着きも感じられました。ちょうどインドに対するスリランカという感じ。熱も下がったのですが、することがないので、閑言録・2の原稿の推敲で時間をつぶしています、おかげで持参した原稿は真っ赤に。隔離がなかったらここまでの吟味はできなかったでしょう。
陽性




-2月10日-
 37℃を超えたので病院で検査したところ目出度くコロナ陽性。まさか異国で罹患とは! 幸い発熱だけで重症化しなかったのですが、政府の規定で5日間の隔離。グループと分かれてホテルで缶詰めです。幸いこの町には「kappa Susi」があり、かなりうまい味噌汁があるのを確認していたので、助かりました。まあのんびりするしかありません。隔離明けのPCR検査次第で帰れるかどうか決まります。
フォルトゥーナ




-2月7日-
 フォルトゥーナはコスタリカを代表する高原リゾート基地で、町には乗馬、ラフティング、マウンテンバイクなどのアクティビティツアーの案内所と土産物店がいっぱい。ただし本格的なホテルはなし。3階以上の建物がありません。中央には大きな教会とその前の広い公園があって、花が咲き乱れて温風が肌をなでるという小欄の大好きな風景がひろがっていました。ということで油断したのでしょうか発熱。
湖と温泉




-2月5日-
 トランクは一昨日夜に到着。マイアミ経由だったとか。今日は寒かったモンテベルデをようやく離れ、比較的状態のいい道路を下ってアレナル湖畔へ。道沿いには農家や牧場も散見されて一息つくことができました。夕方は有名なタバコン温泉を楽しみ夕食にははじめてワインも楽しんでコスタリカの高原リゾートの中心地フォルトゥーナへ。市街中心部のホテルです。目の前が教会と公園という好立地です。
寒い!




-2月4日-
 ロストバゲージは以前にも経験していたので1泊分の着替え等は用意していました。昨日はバゲージがない身軽な状態でサンホセのホテルを出発。ガタガタ道をおおいに揺られてタルコレス川のボート遊覧ののちモンテベルデへ。山小屋の特別室という感じのコテージです。夜はすごい暴風で翌日の見学も危ぶまれる天候でした。今日午前は森の中の釣り橋=スカイウオークを愉しみゴンドラで自然体験。
最初から悲惨




-2月2日-
 このホームページのアップができないという支障は残っているのですが、昨日とりあえず出発。伊丹から強風の成田へ。ところがAA61便は2時間以上の遅れ。ようやく3時間近く遅れて成田を出ました。原因はダラスの大雪でサンホセ行きの乗り継ぎ便は欠航。やむなくダラスで一泊。8人のメンバーは4つに分かれて三々五々ダラスを出発。小欄は最後に出て直行便で深夜にサンホセ着。しかし荷物は届かず。