My Stage 令和4年9月20日改訂  





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ホッと




-1月30日-
 データが復元できなければ『閑言録・2』はもとよりさまざまな文書が消えてしまったわけでこれは悲惨という言葉では表せない状況でしたが、今日午前に取り出せたという電話があり、午後、霙模様のなか北伊丹までもらいに行きました。マイドキュメントは無事。帰宅後早速『閑言録・2』をプリントアウトして70数枚の原稿をコピーしてERPに送りました。もと原稿は手元において明後日から修正作業に。
一大事





-1月24日-
 じつは『閑言録・2』の目次をアップした直後にパソコンがフリーズし、電源も落とせなくなりました。とりあえず以前お世話になったパソコン工房に持ち込むことにしました。西宮店が閉店になっていたので北伊丹まで運びました。かなりの重症でたぶん復帰は無理だとのことでデータだけでもなんとか取り出してほしいとお願いしました。幸いにも我が家にはまったく未使用のパソコンがあったので慌てて初期設定して、なんとかメールはできるようにしました。これは不幸中の幸いでした。
アップしました




-1月22日-
 『閑言録・2』の原稿入力が終わりました。もちろんこれから細部の確認、文章の推敲にしばらくに時間がかかるので、出版はうまく行っても4月だろうと思います。今回はそれぞれのお話を4~6ぺージにおさまるように書いているので、目次にもこの段階でノンブルを打つことができました。奥付もいれて152ぺージになるはずです。ということで、本欄のMy Stageに目次をアップしました。さてさてどんな傑作が‥。
少子化





-1月20日-
 以前にも書いたのですが、産むなというのは命令できても産めというのはなかなか命令できるものでもなく、中国が一人っ子政策をやめて「産めよ増やせよ」に舵をきっても人民は動かず、ついに総人口が減少に転じたという悲報が届きました。これまた設計主義の憐れな破綻です。もっとも、少子化で暗雲が垂れこめはじめているのは日本も同じ。政府は異次元の対策とやらを打ち出していますが、経済的支援もさることながら「未来は明るい」という予感がなければそうそう子供なんて。
まさかの間違い




-1月18日-
 『閑言録・2』でも若干触れているのですが、小欄は編集関係の仕事をよく担当してきたので、校正にはうるさい方で前著『閑言録』には間違いは皆無のはずと思っていたのですが、先日、某大手出版社のもと編集長氏から「人名に間違いあり」とメールがきました。いくら探しても見つからないので答えを聞いたら、鶴見俊輔さんの名が俊介になっていたのです。そういえばそうだったなあと、指摘されて得心。残念です。
暗いテリオン?





-1月16日-
 『閑言録・2』なる駄文を綴ってばかりいるものですから、逆に「読む」という時間が少なくて。ずいぶん積読になっています。オピニオン誌『クライテリオン』の1月号ですが、届いてから一か月経ってようやく読み終えることができました。伊藤・藤井対談など圧巻の内容もあるのですが、ここ1年ほど、この雑誌には、日本はもう駄目なんじゃないかと思わせるような議論がたくさんあって、読後にいささか憂鬱な気分にさせられます。「だからがんばろう」と一応書いてはあるのですが。
共通テスト




-1月14日-
 今日と明日は共通テストです。雪はたいしたことはないのですが、全国的に雨模様なので、傘立ては十分にあるのだろうかなどといろいろ心配してしまいます。小欄は入試委員として監督以上にいろんな入試業務に携わってきたものですから、引退した今もトラブルはなにかないだろうかと、何となく気になってしまいます。一日目の監督業務は下手をすると終了が午後8時を過ぎることも。みなさんお疲れさまです。
京都へ




-1月12日-
 今日も『閑言録・2』の取材がらみで四条の錦市場あたりをうろつきPRESTIAで預金を引き出して、夕方からは四条烏丸の居酒屋で山田先生との飲み会。大学院のときの指導教官なのですが、お互いに(昨今の流行語で言うならば)「鉄ちゃん」でおまけに専攻が地理ですから、その筋の話で盛り上がりました。また小欄も一応大学教員の端くれなので、昨今の大学をめぐる事情などについても。珍しく日本酒が5本。
二つの記事





-1月10日-
 先日の全国紙の2面に「教員 精神疾患で休職最多」という見出しがありました。たしかに教師は子供の前では清く正しくあらねばなりませんし、ほかの人なら責められないドジも「教師がなんてことを」と大袈裟に非難されたりしてストレスはたまりがち。気心の知れた居酒屋で「校長のバカヤロウ」などと気炎をあげるのもコロナで憚られるとあっては逃げ道なし。同じ新聞の22面には「教員 性暴力215人処分」という見出し。両者は無関係かもしれませが、底流では接点があるのかも。
20年ぶり




-1月8日-
 『閑言録・2』執筆の関係で確認したいことがあったので少し早めに三宮に向いました。「取材?」を終えて5時半に西口の居酒屋へ。今日はかつて鳴門教育大で同僚だった先生との久しぶりの飲み会です。どれだけ久しぶりなのか尋ねたらなんと20年ぶりだそうで、これにはびっくりしました。お互いの「その後」の話や昨今の大学教育をめぐる情勢、鳴門の教員仲間やゼミ修了生の動静など、話は尽きませんでした。
中国コロナ





-1月6日-
 中国では感染爆発でついに統計をきちんととるのを放棄してしまったとのこと。もうこれでは近代国家としての体をなしていません。ふたたび書きますが、設計主義の憐れな末路です。ところで趙立堅といえば戦狼外交の象徴のように言われていた中国の報道官で、その完璧な自己正当化と非友好国に対する罵倒の脱論理は下手なバラエティよりも面白かったのですが、最近姿を見せなくなりました。粛清でもされたのかと思っていたら奥さんがコロナになったそうで。謹んでお見舞いを。
明暗




-1月4日-
 今日は本来なら大阪教育大の先生と新年会をやることになっていたのですが、お子さんが熱を出して調べたら陽性だったので‥ということで急遽中止に。楽しみにしていたのですが残念。若い世代は陽性になってもほとんど軽症だとのことなのですが、お世話もそれなりに大変でしょう。ただ、彼も濃厚接触者ですから新年早々から大学の会議に引っ張り出されなくなって、それはそれでホッと一息かもしれません。
『閑言録・2』その後





-1月2日-
 全28話のうち14話までをそこそこぶちこんで、昨年の仕事納めとしました。順番に書いているわけではなく気の向くままです。昨年最後になった15番目の話題は、書く前の構想からして難航を極め、ついにはもうこのテーマはあきらめて何か新ネタを探さねばというところまで追い詰められました。まあダメモトで‥と書き始めたのが大晦日の午後で、書くとまあびっくりするぐらいにトントンと感動巨編が仕上がってしまいました。おかげで心置きなく年越し。今日は16話目を仕上げました。
初笑い





-1月1日-
 あけましておめでとうございます。今年も元日はいいお天気です。宝塚の古社延喜式内大社の伊和志津神社に初詣にいきました。コロナ騒動もおさまって人出もふえたようです。夕方にはご近所のNさんが黒豆などをもってお年始の挨拶に見えられたのですが、「喪中だったので年賀状は遠慮しました」と言われてびっくり! そうだ、昨年春に叔母が逝去したので、今回は喪中だったのだ! 言われて初めて気づいて、そして大笑い。喪中で初笑いとは今年も一年、愉快な年になりそうです。