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■ My Stage 令和4年2月24日改訂
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■9条、苦情
-4月30日- |
高校入試の採点をしていたとき、日本国憲法の三原則を問うた問題に「平和放棄」と書いた答案があって大笑いしたことをヒョイと思い出しました。緊張していて「戦争放棄」と「平和主義」をゴッチャにしたのでしょう。それはともかく昨今のウクライナ情勢もあって、「日本が戦争を放棄しても戦争は日本を放棄してくれない」という指摘がかなり真に迫ってきます。『教育PRO』が近々平和教育についての特集をするそうで執筆者の紹介を頼まれたのですが、気軽に引き受る人なんている? |
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■タイミング
-4月28日- |
地球33番地などを例にあげて『閑言録』で「位置」の大切さについて論じたのですが、空間的な位置つまり「場所」とならんで時間的な位置つまりタイミングも非常に重要だと最近痛感しました。叔母が他界したのは『閑言録』の出版と送付が終わりリライトの原稿も送り終え3年ぶりの花見船を楽しんだ直後でした。昨日、遺品整理や事務手続きをなどを一応終えることができたのですが、もう少し遅かったら何かと身動きしにくくなるGW
に突入していたところ。絶妙のタイミングでした。 |
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■リライト
-4月26日- |
『閑言録』を出版して下さったERPの月刊誌『教育PRO』に久しぶりに小文を寄せています。宣伝がてら拙著所載のエッセイのいくつかをリライトないしアレンジしてくれたら‥という求めに応じたものです。肝心の『閑言録』はもう残部僅少でいまさら宣伝でもないのですが、リライトもそれはそれでおもしろい企画なので楽しみながら執筆しました。先週その冊子が到着しました。久しぶりに原稿料収入あり! |
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■コンサート
-4月24日- |
今日は天満橋のドーンセンターへ松野迅(西宮南高校1期生)ヴァイオリンコンサートを鑑賞に行きました。前半は第3楽章以外は彼らしくないシューベルトのソナタと第2楽章が非常にシューベルト的なベートーベンのソナタでした。彼の洒脱なおしゃべりは今回も楽しめましたが、話題はかつてウクライナとポーランドの国境で3日間も拘束されたという苦労談で、彼の地に寄せる彼の思いが伝わってきました。 |
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■ハナミズキ
-4月22日- |
拙著『閑言録』の本編最後のエッセイが「ハナミズキの咲くころ」なのですが、先日街を歩いていたらいつのまにかハナミズキが満開になっていました。先のエッセイは昨年の今頃執筆したもので、「時流れてふたたびハナミズキの花が咲くころ、『去年』と変わらない『今年』がそこに待ってくれているのだろうか」と書いたのですが、今年は「3月と変わらない4月」どころか、叔母の他界で想定外の苦労を強いられた4月になりました。さて来年こそは‥と期待してもみるのですが。 |
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■戦争犯罪
-4月21日- |
プーチンは戦争犯罪人だという報道に関連して、ワイドショーで某識者が「そもそも戦争が犯罪なんです」としたり顔でコメントしていて唖然としました。戦争は悲惨ですが、それは犯罪ではなく「ありうる悲劇」という前提で、その悲劇を減ずるためにさまざまなルールが戦時国際法で定められています。このルールに違反した場合、たとえば非戦闘員を殺害した場合などが戦争犯罪です。戦時国際法なんて日本ではまともに学習しません。それは喜ぶべきことなのかどうなのか。複雑です。 |
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■メノラー
-4月19日- |
メノラーとはユダヤ教の祭礼に使う燭台で、イスラエルのシンボルデザインにもなっています。おそらくは5Gとやらの関係でしょうか、最近あちこちの高層建築物の屋上にこのメノラー風のアンテナが目立つようになり、奇怪な雰囲気の風景となっています。バチカン放送の高出力送信施設のような実害はないのでしょうが、世界中の人間が「情報」という怪物に操られているのを象徴しているようで不気味。 |
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■他人事ながら
-4月17日- |
グローバリズムという「主義」は早晩崩壊するだろうと小欄はずいぶん前から予測していたのですが、今般のプーチンの乱心その他で欧米対中露という経済のブロック化が進みヒト・モノ・カネの自由往来つまりグローバリゼーションという「現象」にも翳りが出てきました。「主義」も「現象」もごちゃまぜにして「これからはグローバルだ」と叫んでいた人々はどうする? 今夏、京都で開催されるグローバル教育学会での議論が楽しみ。まさか学会解散なんてことはないでしょうけど。 |
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■一週間
-4月15日- |
今週の火曜日午前に叔母の遺品搬出が終わり、部屋を明け渡しました。午後は神戸市の金融機関と新長田にある神戸市の総合庁舎へ(税金関係)。水曜日は本当にひさしぶりにジムへ行ってリバウンドに歯止めをかけました。木曜日は西宮の年金事務所、税務署、市役所、金融機関をまわりました。今日もジムへ行って午後は休息。明日は税務署と金融機関に出す書類を作成します。厄介な仕事もあと少しです! |
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■さてどうする?
-4月13日- |
ウクライナの一件を授業でどう扱うかという話題がニュースで紹介されていました。小欄が見るにかなりいびつな展開を強いられているようです。そもそもわが国には平和教育(正確には平和お祈り教育)はあっても戦争教育(正確には避戦戦略教育)はありませんでしたから当然の帰結でしょう。この話題こそ社会科の出番なんですが、二つの全国学会の秋の大会シンポでウクライナをどう扱うのかあるいは避けて通るのか見ものだと、外野席の小欄は首を長くして見守っています(笑)。 |
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■これも流れか
-4月11日- |
技術の「進歩」とコロナ「対策」とデフレ下の「合理化」(注:いずれもカッコつき)のあおりで、さまざまなシーンで対面が抑制されています。「詳しくは本庁や本店にテレビ電話で問い合わせろ」というケースもあり、この電話も通常の電話同様「回線が混み合っております」という場合が大半。来店予約が必要な場合も増えて、そのうちバーやキャバレーも予約必要に?(笑)。ぶらりと立ち寄って「いつもの」で済む近所のトンカツ屋の対応がうれしく感じるという不幸、悲しむべき也。 |
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■時は流れる
-4月9日- |
桜が散り始めたのを待っていたかのように、阪急の駅にツバメがもどってきました。いま新しい巣作りに忙しく、子ツバメが口を大きく開けて親ツバメの帰りを待つ日も近いでしょう。今日は「若水」で宝塚高校4期生有志の飲み会。といっても全員でも15人程度の仲間で、今日は9人が集まりましたが、そのうちノンアル組が5人という「惨状」で、ふた昔前は回顧談に地震の話、ひと昔前は回顧談に親の介護話、今日は回顧談に自分たちの健康談義。時の流れは隠しようもありません。 |
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■戦闘終了
-4月7日- |
先月末に他界した叔母の遺品後片付けが3日かけて今日ようやく終わりました。たとえるなら今日は昭和20年8月15日。本人にはいくら宝物でも残った人間としてはゴミとして扱うほかなく、ある程度歳を食ったら身辺整理するに限ると痛感しました。膨大な廃棄物は12日に搬出ですが、それ以降も年金その他の諸手続きが続きます。この「戦争」が終了する日、たとえるなら昭和27年4月28日はまだ先のことです。 |
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■いい人、悪い人
-4月5日- |
世の中に「いい人」はたくさんいますが、「悪い人」もたくさんいて、後者への向き合いに及び腰だった学校教育に代わって宗教がそれをカバーしていたのですが、戦後の日本は宗教教育を忌避してしまったものですから、非常にいびつな人間観が社会に蔓延してしまいました。この4月から18歳で成人扱いになるということでマスコミでは悪質商法の餌食にならぬようと注意喚起にしきりですし、ウクライナの悲劇に眉をひそめても日本の安全保障となると思考停止。どちらも根っこは同じ。 |
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■追憶、納骨行
-4月3日- |
独立心旺盛だった叔母が宝塚の家を飛び出したのは小欄が小学校5年生のときで、叔母の乗った東京行きの夜行急行「出雲」の車窓の灯が右から左へ流れていくのを自宅近くの段丘の崖の上から家族と見送った夜の一瞬の光景だけが、なぜか60年もたった今でも鮮明に思い出されます。その福知山線から新幹線に乗り継いで、今日は叔母の遺骨を遺言どおり東京上野の寛永寺に納めに行きました。桜が満開でした。 |
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■呼称変更
-4月1日- |
ウクライナの首都名をキエフから現地発音のキーウに改めるという動きが急速に広まり、わが国のマスコミも一斉に新呼称に。これまでもエベレストをチョモランマにボンベイをムンバイに変えるという例はありましたが、「ビクトリア滝」「フィリピン」のように、由来に問題があるとは言え、いまさら変えられないという例も少なくはありません。ところで某紙のコラム氏によればわが国の英文表記JAPANは中国由来なのでNIPPONに改めるべきとか。目からウロコの指摘ですね。 |
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