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他山の石か?






-4月29日-
 黒田勝弘さんが「から(韓)くにだより」で、かつて同国で蔓延した狂牛病パニックについて書いています。「米国産牛肉=狂牛病」とか「韓国人は狂牛病にかかりやすい」などという煽動的なテレビ報道がきっかけでパニックが起こり、「都心は連日・連夜、デモと機動隊で埋まり商店は店を閉めてゴーストタウン化した」のに、いまでは「デモの市民も女子生徒たちも米国産牛肉を何の疑いもなく食べている」。まさに「沈黙の連鎖」(ノイマン)ならぬ「狂乱の連鎖」。氏は触れていませんが、言外に昨今の日本への哀惜が滲み出ているような・・。
よりマシな





-4月27日-
 欧米のテレビ報道を見ていると、ワクチンの副反応について「デメリットよりメリットの方が大きいから・・」という論法をよく耳にします。文字通りの総量功利主義です。ところが日本では、安全性が異常に強く求められていて、少しでも不安があればアウト。わが「閑言録」の第3話でも繰り返し強調したように「よりマシ」な落としどころで手を打つというのはそれなりの生活の知恵なのですが。コロナ対策と経済の疲弊対策のバランスもまったく同じ。要はバランスです。
副反応





-4月25日-
 小欄も高齢者らしく先日市役所からワクチン接種券が送られてきました。せっかくなので順番がきたら出向くつもりです。ご丁寧に接種部の痛みなどの副反応があるかもと書いてありますが、インフルエンザでもたまにあることですし、コレラならよくあること。黄熱病の予防接種なんてひどくて半世紀近く経った今でも覚えています。ワイドショーでは滅多に出ない副反応について針小棒大に報じています。この醜態もマスコミに不可避の副反応と言うべきでしょう。
ようやくオープン!





-4月23日-
 鋭意準備を進めてきた約15年ぶりの新コーナー「閑言録」(一説に「暴言録」)の第1期分が完成し、昨夜めでたくこのホームぺージの「My Stage」にアップしました。開設の契機は1月29日の本欄に記した通りですが、究極まで言葉を研ぎ澄ますという負荷をあえて課すことで「ボケ防止」の一助としたいという、つまりは自己満足の産物です。第1期は「erfahrungen=体験」「猫のしっぽ」「突き詰めて問う」「ウルパンの窓辺から」「近代という呪縛」の5編を掲載しました。
コロナと宗教





-4月21日-
 このコロナ禍によりによってクンブメーラ。インドでは感染が拡大しています。しかし信者いわく「ガンガにはコロナはいない」。確かに宗教的にはそれはスジが通っていて、そうでも思わなければあの決して清潔だとは思えない水中に頭まで浸すなんて出来ません。片やイスラム圏ではラマダンの真っ最中。これは言わば「日中限定のロックダウン」。その間は唾を飲みこむのも罪だとされているのですがワクチン接種は「栄養分がない」とかでOKとか。なんだかなあ。
お気に入りの・・






-4月19日-
 ハナミズキが満開に近くなっています。かなり以前から「好きな花は?」と問われたら「リンゴ、アンズ、桃、アーモンド」と答えるのを常としてきたのですが、最近はこれにハナミズキを加えています。4年間お世話になった関西福祉科学大学への通学路の原川ぞいにハナミズキがいっぱい植わっていてずいぶんお気に入りになったのがその理由です。ですので、この花が先始めると、往復3時間半もかけて通勤していたあの頃を思い出します。ということで、本欄左上の写真も桜からハナミズキに入れ替えました。5月中旬まで掲出予定。
シンゲン






-4月17日-
 昨日夕方、神戸大学の事務から「県から通告があったので来週からリモート授業に切り替え」という一斉メールが届きました。いくらなんでも明後日から急になんて無理でしょう。「コロナは怖い、みんなで自粛しよう」という風説を與那覇氏は「コロナ自粛依存症」という一種の社会病理現象だと一刀両断、藤井氏は「集団ヒステリー」だと断じています(『クライテリオン』最新号)。昭和16年夏に「負け戦反対」を唱えるような箴言ですが、それに少なからず共感する一方で5月の研究会の中止を進言している小欄は、まさに言行不一致です。
ツアー






-4月16日-
 旅行好きが高じて「一般旅行業務取扱主任」(当時)の資格をとったほどですので、ツアー広告を見て「これは高すぎる」「こんな忙しい日程はダメだ」などと評するのが日常になっています。昨今の傾向は料金設定が異常に高くなっていること。コロナ自粛で蟄居を余儀なくされた人々の欲求不満をすくい上げようという戦略でしょうが、一方には、コロナ禍で疲弊した旅館ホテル業界ならびに旅行会社みずからの経営立て直しを図りたいという悲痛な思いもあるでしょう。人助けにもなりそうですから、手ごろなのがあれば検討してみましょうか。
こんな反論はいかが





-4月14日-
 中国の戦狼外交とやらがいささか暴走気味で、「内政干渉するな」「民主主義にもいろいろある」「アメリカの黒人差別はひどい」などと主張しています。こういう反論はどうでしょう。トランプが壁を作ったにもかかわらず中米からそれこそ命がけでアメリカに入国しようとする人々は後を絶ちません。ひるがえって中国、命がけで出国しようとする人はいますが、命がけで入国しようとした例は寡聞にして知りません。さて国家の在り方としてどっちが「上」なんでしょうかね。
新しい授業(笑)





-4月12日-
 先日、高校の新しい教科書の検定結果が発表され、例によって社会系の新科目の内容が大きく報道されています。「公共」では「答えのない課題について生徒同士で議論させる」のがウリだそうで、法律を自分たちで提案するという実践がテレビでも紹介されていました。はあて、よく似た授業をずいぶん昔に見たことがあるような・・。それはともかく、こういう授業実践を理論的に研究し積極的に指導できる大学の教科教育担当者がどれだけいるのか? 心配。
逆もまた時に‥






-4月10日-
 ミャンマー国軍の暴政に対して主要国が制裁を発動したのに、「人権侵害を理由とした制裁は法的にできない」としてわが国が制裁に尻込みしているのを見かねて、桜井よしこ氏が、第一次大戦後のパリ講和会議のときの日本の大演説を忘れたのかと憤っています。しかし、日本の無策は無理もないこと。なぜなら日本国憲法では「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼するとなっていて、「平和を愛さない諸国民」がいることなど想定されてもいないのですから。「戦前=悪、戦後=善」とされることが多いですが、逆もまた時に真です。
ツケ






-4月8日-
 「蔓延防止等重点措置」(官僚臭さ120%のネーミングですね)が兵庫県の一部などに適用されました。医療逼迫というのがその理由の第一だそうですが、お隣の鳥取県の重症患者用ベッドの稼働率はゼロ、つまりガラガラ。昨春、イタリアは重症患者をドイツに空輸したというのに、たかが1時間ほどの鳥取に運べないのは、有事に思い切った決断を臨機応変になしうるシステムが整備されていなかったからでしょう。発生から1年以上経つのに医療体制の整備は遅々。立法の不作為のツケを観光業者や飲食業界が払わされています。
落語






-4月6日-
 近所で落語会があり、師匠の二番弟子の呂好さんも出るというので行ってきました。師匠とは小学生のころ落語の真似をして遊んでいた仲なのですが、師匠は本当に落語家になりました。もっとも小欄もペラペラとお喋りして収入を得てきたという点に限れば同じ人生なのですが。桂宗助さんが演じた「住吉篭」は米朝師匠の十八番で小欄も大好きな噺。カセットテープに録音したのを何度も聞きましたから60年経ってもまだセリフなどは断片的ながら覚えています。米朝師匠のじんわりとした語りの方が懐かしかったのは歳のせいでしょうか。
教えるということ






-4月5日-
 ピアノよりもスキーを教える方がはるかに簡単だった記憶があります。苦労した分だけ相手の気持ちがよく把握できたからです。技能のみならず情報量においても、格差の頂点にたどり着いてなお、その格差の底辺で辛酸をなめた経験を忘れずにいるというのは案外に難しいもので、それを自覚しつつ共に歩むことができてこそ本物の指導者なのですが、スマホ屋の店員にそんなプロの技量を求めるのはまず無理。どうせ精神衛生上よろしくないことは決まっていますから、自称教育屋の小欄はスマホ教室には近づかないことにしています。
春の日





-4月3日-
 今日は、文化芸術センターで催された邦楽ライブ「いとのわ」を見に行きました。昨秋の第1回よりも演出が一層華やかになり、和太鼓の豪快な響きや見事なバチさばきの津軽三味線を楽しみました。精進して一つの技(わざ)を極めること、伝統を受け継ぐことのすばらしさにあらためて心洗われる思いでした。会場にはご近所のNさんが腕をふるった和菓子のお店も出ていて、昼ごはんがわりにおはぎを頂きました。ハナミズキの蕾がふくらみかけています。
新年度





-4月1日-
 黄砂も止んで清々しい快晴。鳴門時代の小ゼミを修了した教頭先生から「校長に昇任」との便りが届いています。人生のあらたなステージの幕開けはいくつになっても感動的なものです。小欄はと言えば、退職後の1年が予想に反して退屈する暇もなくアッという間に過ぎ去ってしまったのはそれなりにうれしいのですが、4月1日を迎えても何の変りもなく、あらたに踏みしめる階段がどこにも見当たらないのがさみしいかぎり。さりとて「もどる」勇気もありませんが。