■ 教育直語 過去の研究室日誌へのリンクは最下段に
軌跡





-2月27日-
 本欄も今日をもって18年目が終わります。オギャ~と生まれた子が大学生になっているという、その時間の長さに我ながら驚嘆します。で、退職して少し暇ができたので古い記事を見直していて驚いたことが二つ。若いころはじつによく出かけていました。ちなみに2005年の一年間はヨーロッパも含めて55日間も家をあけていたことがわかります。それと、教育実践研究や近代教育や大学改革へのかなりエグイ批判が結構多いこと。ひねくれ病は根深いですね。
28年目のお小遣い






-2月25日-
 昨夏8月9日の本欄に書いた「お宝」=ロイヤルコペンハーゲンがメルカリで売れたとNさんから連絡がありました。28年前の海外ツアープランニングコンテストの賞品としてもらったものですから妥当な値段なんて不明ですが、想定外のお小遣いにホクホク。準優勝に輝いたわがツアープランに含めていたファドーツやサンマリノやアンドーラなどは当時はまだほとんど旅行者の関心を集めていませんでした。時は流れて、バレッタにいたってはいまや人気観光地の一つになっています。それほどの先見の明があったということですよね(笑)。
「すご~い」





-2月24日-
 TV映像でおそらくもっとも頻出するのがこの感嘆詞。食べものをみて「おいしそう」というのと同じでほとんど条件反射、実感などこもっていません。心配なのは、たとえば雲海からのご来光、料理人の見事な包丁さばき、サバンナでの野生動物の生きざま、プロアスリートの離れ技などを目にしたとき、連中はやっぱりこの感嘆詞を連発するでしょうが、その本物の感動を使い古したコトバに回収してしまうことの哀れを、さて、どれほど意識できているのでしょうか。
懐かしい光景






-2月22日-
 ・・と書くといささか不謹慎なのですが、昨日のUAの右エンジン火災の生々しい映像を見て、30年以上も前に体験したMSの事故のことを思い出しました。インド洋上で搭乗していたA300-600Rの左エンジンが爆発したのです。右窓側の座席だったので、火を噴いたさまは目撃していませんが、「機体が揺れて・・」というような証言はまさにそのとおり。2つのエンジンのうちの1つがバラバラになってもちゃんと着陸できましたから、今回の事故自体は驚くには値しませんが、UAの場合、破片が集落に落下してそれでも死傷者ゼロというのは奇跡!
「老害」考





-2月20日-
 森某の「女性蔑視発言」を非難したマスコミが、氏を老害だと揶揄する発言を「高齢者蔑視」だと批判しないのは明らかなダブルスタンダード。一方向の「正義」が暴走するという大衆社会の怖さを感じます。桑原聡氏が「平等という名の全体主義」と題したコラムで述べているように、「古い価値観のなかには、理性の暴走を抑える良識が潜んでいることが多い。それを『老害』と切って捨ててしまう社会は、この先きっと大きな落とし穴にはまってしまう」のも確かでしょう。
シラバス登録





-2月18日-
 「お品書き」をあらかじめ明示するというのはそれなりに意味のあることなのですが、書く側にすれば半年も先の授業予定をまことしやかに並べるという作業には複雑な思いが交錯します。昨年度も、これで完璧と思っていた授業予定の一部を熟考の末に入れ替えました。世界新情勢も組み込みたいし・・。それが誠意というものでしょう。今年は欄外に「受講生の人数、属性、ニーズ等をふまえて適切に修正する場合もある」と、余計な?注記を書き加えました。
自作自解





-2月16日-
 前項の拙論は、1600字程度までという制限があったので、爆発寸前の超新星のような論理展開になっています。掲載誌の愛読者なら「1789年のパリ」という記述にバークの名著を、「至極まっとうな極論」などという諧謔にチェスタトンの名著を連想し、デモクラシーと民主主義をさりげなく書き分けているあたりでニヤリとする人もいることでしょう。<突き詰める>、<よりマシな>というキーフレーズを意図的にまき散らした、まるでガラス細工のような1598字です。
「突き詰めて問う」






-2月15日-
 『クライテリオン』3月号の読者投稿欄に駄文を寄せています。内容は教員養成系大学・学部をメッタ切りにした暴論で、退職した身とはいえここまで書いたら関係学会からは石もて追われ友達も少なくなるだろうという覚悟の上での狼藉でした。ところが一方、言論界にも名の知れた諸先生の集まる編集委員会では「全員の高い評価」を得たそうで「久しぶりに、西部邁的センスの文章が読めてよかった」などという「法外な」感想まで飛び出したというからびっくり。さてあの駄文は天下の暴論か稀代の金言か。評価の分かれるところでしょう。
見えざる不得手






-2月13日-
 「(神の)見えざる手」とはアダムスミスの有名な『国富論』の一節で、市場は基本的には自由競争に任せればうまくいくのだ・・と「公民」の時間に習った覚えがあります。ただ彼は『道徳感情(情操)論』のなかで「一般市民の道徳レベルが高い場合」という留保条件をつけていたということを最近知りました。早速この方面に詳しい修了生にメールしたら、そんなことはとうの昔から知っていると逆に諭されました。それにしても自由競争原理には道徳レベルの維持という留保条件がつくなんてことはどの教科書にも載っていません。何故なんだ!
五月蠅い





-2月11日-
 加齢のせいもあるのかもしれませんが、昨今、テレビCMがうるさくて仕方ありません。やたらと吠えまくっていて肝心のPRの意図がどこにあるのか不明なものも少なからず。それとデジタル技術の進歩のおかげで花火大会のフィナーレのようなド派手な画面も増えました。疲れます。「政治におけるポピュリズム(人気)の影響が一気に加速し、文化の次元での俗悪趣味やメディア的面白主義が公然化し」と佐伯啓思が嘆いたのは今から16年も前のことでしたが‥。
モバイル人間の悲嘆






-2月9日-
 LINEにもTwitterにも無縁、スマホすら持っていないのに「モバイル人間」を自称しているのは小欄自身がモバイルだからです。古い日誌(後掲)を読み返してみると、国内外、本当によく動き回っていて我ながら感心します。ですので、退職とコロナのダブルパンチで気ままなお出かけができない昨今は、飛行機が空中で停止したような感じでおそろしく不安定です。そんな中、唯一の楽しみが来週の福岡小学校の研究会だったのですが、自粛要請で地元教育関係者との懇談がアウト、GoToもアウトなので、訪問は中止にしました。無念です。
インタビューを受ける






-2月7日-
 「GoTo商店街」政策で降ってきた予算が中途半端に余ったのかどうか詳細は不明ですが、近隣の商店街のタウン誌を作るという話が持ち上がり、小欄がインタビューを受けることになりました。もともとPTA広報誌とか創立〇周年誌とか大学院ガイドブックなどをほとんど1人で企画、編集、執筆、取材などしてきましたから、ヒマだし面白そうなので引き受けました。広告代理店の若い女性相手に小一時間「ツボを心得た回答」をならべておしまい。でもタウン誌の発行が商店街活性化にどの程度効果があるのかなあ。3月発行予定とか。
ネーミング





-2月5日-
 先月29日の記事にある「時ならぬ企て」ですが、そのタイトルをいろいろと考えてきました。最初は「当方見聞録」とか「此界文書」とかいうのも候補にあったのですが、少々悪趣味なので、結果、「閑言録」というおとなしいネーミングに落ち着きました。「閑言」は意味としては閑話や閑談と同じく、言ってみれば「どうでもいいような話」という意味ですが、発音の「カンゲン」は「諫言」や「甘言」にも通じるので、余計なイメージが少々加わって愉快だというのが本旨です。
関学の受講生から






-2月3日-
 「今までは、学習内容を確認するテストを受けてきたため、今回のテストは非常に新鮮であり、慣れていない分焦ってしまいました。しかし、自分でキーワードについて学習することの大切さ、1つのキーワードを1つの意味として理解するのではなく、他のキーワードとも関連付けて学習することが大切だと感じました。『サバイバルゲーム型試験問題』は、どの語句を選ぼうか、端的に書くにはどうしたら良いか、短い時間の中で考えて書くには非常にむずかしかったです」「楽しみながら受講することができました」と嬉しいメールが届きました。
猫のしっぽ






-2月2日-
 振り子に擬した猫時計の尻尾が動くのかどうかを店員に尋ねようとサービスコーナーへ行ったら「整理券をとって並べ」と言われ、たかがこんな些細な問い合わせにも並ばせるのかといささか色をなして2回抗議したら、しぶしぶ数メートル先の売り場まで同道してくれました。コロナ禍での店員削減のあおりでお客が並ばされるのはわかるのですが、以前は美徳だったはずの「臨機応変」が昨今は罪悪視されて、代わってマニュアルどおりに動くことこそが正道であるかのような風潮があります。心の余裕がなくなってきているのでしょうね。