my stage(自己紹介など)改訂



  ■ 教育直語 過去の研究室日誌へのリンクは最下段に
神戸大学で集中講義






-10月31日-
 久しぶりの6時起き。なにしろ早朝からの通勤も授業も9か月ぶりですから家を出るときはかなりきつかったですが、いつものパターンで教室に入り授業を始めるとすっかり元気をとりもどしました。今年は、いつも冒頭にもってくる「社会科の目標論」を最後にまわしました。そうしないと結局忘れてしまう可能性が高いと思ったからです。5時間目は「インドの農民」。今年は子供が3人も生まれたのでとくに悲惨な結果になりました。帰途バス停で「あそこでこうしたら」なんて授業の延長戦談義をしている学生達がいました。やはり対面はいいね。
第6回授業






-10月29日-
 ・・は題して「六甲おろしをなぜ歌う」です。星陵高校での実践と同じタイトル、趣旨ですが、もちろん中身はグレードアップ。SMAPを前振りにした「相対主義批判~居場所論」と「いのちのつながり」の内容をドッキングさせ、サンチャゴ巡礼のビデオをカットして1コマに集約しました。通常の授業だと90分に収める必要があるのですが、その点課題提示型オンライン授業では、ボリュームはあまり気にせずに内容を配列できるので気が楽です。「ネットは居場所になるか」という事前のおたずねをしたのですが、いつもより肯定派が多かったです。
鬼滅ブーム





-10月27日-
 社会全体に不安や閉塞感が蔓延すると、何かが発火点となって大きなうねりが生じることがあります。1940年のドイツがそうでした。ヒットラーと「鬼滅の刃」を一緒にするようなつもりは毛頭ないのですが、根底に通じるものがありそうです。もちろん「鬼滅」にはそのブームを可能にするだけの作品としての魅力があるのでしょうが、それがコロナ自粛という世相によって増幅されたのは否定できないように思います。「鬼滅ブーム」はある種の救世主かもしれません。
余計な心配ですが






-10月26日-
 今週末の集中講義に備えて、今日は資料印刷や機器チェックのために久しぶりに神戸大学へ出かけました。総務で書類の手続きもしたのですが、そこで思いついたのは、出勤簿への押印がこれからどうなるのだろうということ。某国立大には1年分の出勤印をまとめて押したために肩をこわしたという猛者もいたぐらいで、大学では教員の出勤確認は良くも悪しくもルーズなのが現実です。もしこれが押印廃止の風潮の中でタイムレコーダー方式に切り替わったら教員はパニックに陥ることでしょう。まあ、知ったことではない・・のですが。
押印論議に思う






-10月24日-
 小欄もかつてバカバカしいとしか思えない押印の強制を批判したことがありますが(『社会科教育』96年11月号)、昨今はデジタル化を急ぐ風潮もあって、押印廃止が声高に叫ばれています。ただ、「要」「不要」の二分論で街角の声を集めて単純な印鑑悪玉論に走るのもどうかと思います。たとえば出生死亡、婚姻、不動産取引、会社等の登記、遺言、入社入学などの場合に限って、印鑑登録した実印を押すことにしたらどうでしょうか。そもそも押印なんて無意味と言えばそうなんですが、「伝統」にいちいち意味を問い糺すのも無粋な話で。
第5回授業





-10月22日-
 前回のイスラエル授業に対しては学生からいろんな質問がもどってきて、楽しくコメントを読ませてもらいました。第5回は題して「ゴメラ島から何が始まったか」。プトレマイオスから徳川家光に至る超大スケールの授業です。高校新科目「歴史総合」のイメージを超えているでしょう。来月実施する神戸大の集中講義では、この内容にさらに加えて公転軌道に対する66度67分の地軸の傾斜問題まで持ち出しますので、教科も超えたトンデモ授業ということになります。
時は流れて (続)






-10月20日-
 前項の続きですが、プログラムに「提案型社会科が開く社会情意的スキル育成の可能性」という発表がありました。もっとも、この情報は某筋から得ていたので驚きはありませんが、久しぶりにわが「提案」の文字を見て懐かったです。学会にオンライン参加するつもりはないので、会が終わったら発表者に直接お願いして資料を送ってもらうことにします。それにしても昨今、提案型企業とか提案型政党とかをよく耳にします。小欄が「提案する社会科」という新しい教科論を提案したのは、かれこれ30年ほど前。まさに「時は流れて」ですね。
時は流れて





-10月19日-
 日本社会科教育学会から来月の筑波大での学会プログラムが送られてきました。と言ってもオンライン学会です。自由研究発表が100近くあるのですが、興味を引いたタイトルは数本もあるかないか。それと発表者は百数十人に及ぶのですが、親交のまったくなかった人も含めて「知人」」は10人しかいませんでした。オンラインとのことなのでベテラン層がこぞって不参加を決め込んだ結果かもしれませんが、それにしても時の流れを感じます。学会も遠く・・・か。
GO TO






-10月17日-
 さまざまなところでトラブっています。表沙汰にはなっていませんが、小欄の7月の函館旅行のように、個人で手配し個人で西新橋のキャンペーン事務局に還付手続きをしたケースでも、アッと驚くような制度設計ミスが発生しています。日本の場合政治家に一定程度のアホな人がいてもそれでも国がしっかり回っているのは優秀な官僚がいるからだと言われてきましたが、その官僚にも劣化が進んでいるとしたら恐ろしいことです。行き過ぎた官僚バッシングと定員削減によるブラック化を早急に改めないと大変なことになりそうな気がします。
無理な注文ですね






-10月15日-
 今日の第4回の授業は「君は死海の水を飲んだことがあるか」。例のイスラエルのネタで、「世界ふしぎ発見」的な面白さもありなおかつ考えさせる内容もあるので、授業以外にもあちこちで使ってきました。クイズの成績がもっとも悪かった受講生(希望者も)には死海の水をなめさせてその「感動」を教室全体で共有するというのがこの授業のフィナーレなのですが、視覚と聴覚の情報しか伝えられないオンラインではそれは不可能。学習にとって必要な味や匂いや触感の情報は伝えられません。Zoomさん、新型アプリ開発してくれませんか。
元気もらって






-10月13日-
 先日の日曜日には、福祉科学大の小ゼミの卒業生から「教採に受かりました」とうれしい電話。隣のゼミの卒業生ですでに現場に出ているSさんや翼先生とも同じ電話でしばし歓談することができました。関学の授業では、受講生からのレポートを次の授業のパワポ冒頭で紹介するというパターンも軌道に乗り「手ごたえ」も伝わってくるようになりました。いつものことながら「子供に元気をもらう」のが一番です。引っ越し荷物の整理もほぼ終わり、「異常な疲労感」も抜けて体調も少しずつ回復しています。時を同じくして、季節は秋本番へ。
何だこりゃあ






-10月12日-
 久しぶりにパスポートを取り出して思い出に浸る、出発ロビーの掲示板で搭乗便を確認してホッ、機内に入る瞬間のささやかなときめき、ギャレーからもれてくる機内食の匂い、入国審査でちょっぴり緊張、ホテルの部屋に入って湯の出具合と枕元の時計の正確さを確かめてからごろんと横になる解放感・・。こういう諸々が積みかさなって、「旅」は醸成されていきます。何でもオンラインの当節、海外の観光地の映像をテレビで見ながら宅配の海外グルメを味わう「オンラインツアー」とやらが登場。それで海外旅行気分だって? ウソでしょ!
年休のススメ






-10月10日-
 コロナ騒動のあおりで「皆勤賞」を見直す動きがあるとの報道。小欄は以前からこの賞には疑問を持っていました。なぜって、人間やってりゃケガもするし病気にもなるのが当然で、皆勤なんて単に運がよかっただけじゃないかと思っていたからです。この際、一歩進めて児童生徒にも年休を用意したらどうでしょう。年に10日の休みはカウントしない。体調が悪ければ心置きなく休めるし家族と小旅行も楽しめます。もちろん連続して10日も休んだら勉強に差し支えるというのなら自己責任、それなりのフォローを自分で考えればいいだけのこと。
沖縄の授業






-10月8日-
 関学学部3回目の授業を送信しました。題して「国境の島たちのアナザーストーリー」。昨秋に福科大でやった沖縄の研究授業(?)の内容をアレンジしたもの。地域構造図を作成して中央に「亜熱帯性」「境界性」というキーワードを配したので全体構造が見やすくなりました。琉球大学の英文名称の謎とか焼失した首里城正殿は世界遺産ではなかったとか、米軍基地面積全国第1位は沖縄ではないとか、おもしろい話題が満載です。今回の宿題は「第3回ウチナーンチュ大会閉会式で最後に入場したのはどこの国か」。深い問いです。
近況雑記






-10月6日-
 荷物片づけもようやく終盤にかかりました。直線距離30メートルの移動ですが引っ越しは引っ越し。この年齢でやるものではありません。今度のマンションの玄関先左手に広がる風景を最初に見たときに、何の脈略もないのですがモナコ・モンテカルロのそれを連想してしまいました。実際どう見ても似ても似つかぬ風景なのですが、なぜ連想したのか。いまでもその記憶の糸のもつれが直せません。今日は南口から花の道に移転した宝塚ホテルで夕食。比べるのも酷ですが、風雪に耐えた以前の建物とはその風格比すべくもありません。
濡れ衣か?





-10月4日-
 使用済み段ボールの回収を引っ越し会社に頼んだら「コロナなので有料」とのこと。じつは然るべき有料理由はあるのですが「コロナと言えば相手が黙るだろう」といわんばかりの返答にあきれました。昨今、コロナのせいにしておけば何でもOKになるかのような雰囲気があります。経済活動の絶望的な委縮を「コロナ禍」と呼びますが小欄には「自粛禍」と言った方がいいように思えます。そのおかげで日本の被害が抑えられていると言われれば納得もしますが。
授業も軌道に





-10月2日-
 昨日、関学の2回目の授業を送信。「アメリカはなぜディエゴガルシアを手放さないのか」というタイトルですが、要は、地図や地名を手がかりにするといろんな面白い「社会」が見えてくるよという内容で、西宮の古地図や六甲南麓扇状地と阪神・阪急の違い、正距方位図法を使った意外な謎解き、AKB48と乃木坂46の名前の由来など盛りだくさん。最後に世界各地で撮影したそれなりに教材性のある風景を示して、「君ならこれで何を語るか」を宿題にしました。