my stage(自己紹介など)
           

  ■ 教育直語 過去の研究室日誌へのリンクは最下段に
約款






-9月30日-
 一般旅行業務取扱主任の受験勉強をしていたころは、「乗る意思をもってステップに片足をかけたときに、バス会社の定める一般貸切旅客自動車運送事業運送約款」を承認したことになる・・という解釈がありました。現在も、航空運送約款では搭乗手続き時にそれを承認したとみなされますから、超極端な話、乗務員が「右向け」と言ったとき左を向いたら降機命令の対象になります。先日、ワイドショーが「機内マスク騒動」を面白おかしく報じていましたが約款への言及はゼロ。こういう社会の仕組みは社会科の勉強でも扱われませんね。
ふたたび横浜へ





-9月28日-
 我が家の引っ越し後片付けも道半ばなのに、一昨日から横浜での引っ越しの手伝い。ただ、精神的にはキツイのですが肉体労働を強いられたわけでもなく、新幹線で移動してホテルに3泊というのは、ある意味で息抜きにはなりました。荷物出しを終えた今夜は、もう四半世紀近くのつきあいになるS准教授と「喜八」で優雅なディナーを楽しみました。大学のゼミ運営のこと、社会科教育学界のあれこれなど存分に話し込んで、心のほぐれる2時間となりました。
必然的・・か?






-9月26日-
 リモートその他のカタカナを並べて「新しい生活様式への転換」が喧伝されていますが、小欄は心配です。そもそもの契機が「コロナ」という外圧への緊急対応であって、「新しい~」が本当に人間社会の幸福につながるのかどうかという慎重な見極めなしに進んでいるからです。社会は変えるものではなく変わるものだと言うのが保守思想の教えるところで、性急な改革への意思は、フランス革命や文化大革命のようにロクな結果にはなりません。まず求められるのは「新しい~」ではなくて、「いままでの日常を取りもどすこと」だと思うのですが。
大阪へ、気分転換





-9月24日-
 判断処理能力ギリギリ状態で毎日やってきましたので、心の余裕がなくなって余計に疲れがたまっています。今日は久しぶりに大阪に出て、その疲れを癒しました。以前勤めていた大学で仲のよかったお喋り仲間の先生とランチを楽しみました。大学もコロナで大変で、教員のボーナスがどうとかいう深刻な話も出る始末でしたが、いい気分転換になりました。そのあとPRESTIAで住所変更手続きをして帰宅。明日の回収日を前に大量の段ボールをゴミ集積所へ。
涼風






-9月22日-
 引っ越しに際して電気屋さん、家具屋さんなどにお世話になったのですが、来てくださった人が皆、「労働」というのではなく、「プロとしての自分の腕を活かす喜び」のようなオーラを漂わせて、やっかいな仕事にも敢然と取り組んでおられたのが非常に印象的でした。世は素人が前面に跋扈する時代で、当然ながら知的レベル、美的センス、道徳レベルが低下しまくって、それを「大衆社会」と称揚する向きもありますが、小欄は首肯していません。DIYにもそれなりのよさはありますが、久しぶりに職人の心意気に触れて清々しさを覚えました。
引っ越し





-9月20日-
 この年齢でやるものでもないのですが、今回は8月初旬に手ごろな物件が出たので、十分な計画も断捨離もできないまま今月18日に決行。肉体的にも精神的にも疲れ果てています。「新築そっくりさん」ですが建物の躯体はいじりようがなく梁が多いので家具の高さに気を遣いました。それとこのご時世ですので、ネット接続や本欄のアップに気を揉ませられました。しかしネット環境のおかげで転居通知を一斉送信でき、返信も続々返ってきてホッとしています。
教員養成について②






-9月15日-
 極論ですが、小欄は全国の教員養成系大学・学部を全廃すべしと従来から考えています。なぜって、高等教育(大学教育)と職業訓練(教員養成)の両方を4年間で片付けようなんてのは、どう考えても欲張りすぎです。ゆえに昨今は、高卒レベルのまま、高等教育をほとんど受けることなく免許を得るという奇怪な実態があります。教育に一生を捧げたいと思うのなら、文学部でも理学部でもいいですからまっとうな大学教育を受け、多様な青春を謳歌したあと、教職研修センターでの2年程度の訓練を経て免許を取得すべき・・と考えます。
教員養成について①






-9月13日-
 千葉県の高校には教員基礎コースという教職希望者用の教育課程があるそうで、都教委関係者が「進んでいる」と評価している由。小欄に言わせればトンデモナイことです。教員の仕事は現実的には生活指導と学習指導ですが、その本質は人間形成。そのためには教師自身に相応の人間力が備わっていなければならず、高校~大学にかけてできるだけ多様な知見に触れ多様な経験に身を浸す必要があります。その可能性を封じて、教職という狭い世界しか知らない「もやし教師」を育ててどうしようと言うのでしょう。つきつめれば・・。
煩わしいお知らせ





-9月11日-
 8月31日の本欄で触れたように引っ越しをすることに。鬱陶しいのがネット関係の引っ越し。新しい建物ではこれまでのプロバイダーは使えないと言うことで、あらたにNTTと契約をし直さねばならないことになりました。ったく、こんなおかしなことを放置して罪悪感を感じないのかと腹立たしくなります。で、18日までは現在のアドレス、19日からの新しいプロバイダーはBIGLOBEになります。念のため、お問い合わせは関学のメールdwe99418@kwansei.ac.jpまで。
菊のお節句に吉報





-9月10日-
 昨日は重陽の節句。いつもささやかなお祝いするのですが、今回は吉報が舞い込んできました。神戸大学の後期の集中講義が「生」でやれることになったのです。もちろんコロナ情勢にもよりますが、これで授業ができる! 教育屋の小欄にとっては、オンラインなんてのは、プロ野球の選手がバッティングセンターで素振りをさせられているようなもので、まるで実感はありません。おそらく人生最後の授業をわが母校でできるというのは本当にありがたいことです。
今さらですが






-9月8日-
 自宅にいながら商品を注文できたりホテルを予約できたりと、ネット社会の便利さは十分に承知しているのですが、昨今の引っ越しに伴う諸手続きや購入に際して気づいたのは、ネットよりも電話、電話よりも対面の方がはるかに要領よくしかも安上がりになることも結構多いということです。とくに強調したいのは、話がうまく進んだ時、相手の人に「ありがとう、お世話になりました」と心から言えること。ネットではPCに向かって頭を下げたりはしませんね。若い世代にもぜひ、こういう直接対話の有難さを味わってほしいとつくづく思いました。
無理・無駄・無意味






-9月6日-
 大学村という言葉があるように、たしかに大学には旧態依然たるところがあって、文科省は昨今運営費交付金をエサに「改革」を迫っています。が、その企ては瞬く間に形骸化して、業務を委託された外部の教育産業の懐を温めたり、担当事務員の肝を冷やしたりしています。先日見聞きした授業評価の実態ですが、オンラインしかしていないのに「担当者の声の大きさは適当だったか」という設問がありました。学生でなくても唖然。大学も無意味は承知しているのでしょうけど、下手にいじって文句を言われたら・・とそのまま。嘆息以外なし。
達観





-9月4日-
 通路のど真ん中に突っ立ってスマホをいじくっている人をよく見かけます。自分もあんな廃人まがいの姿になりかねないという恐怖もあって、小欄はいまだにガラケーで過ごしています。もちろん外部とつながるには机上に据えたPCをいちいち起動しなければなりませんが、曽野綾子風に語るならば「いささかの不便を楽しむしあわせ」みたいな感情もたしかにあります。便利さは欲望の裏返しですから、不便さを味わうというのはずいぶん高尚な趣味と言えるかも。
授業準備も開始






-9月2日-
 9月もおそらく「怒涛の~」ということになりそう。授業の準備ですが、1回目は自己紹介と「AKB選抜総選挙と衆議院総選挙の決定的な違いは何か」。もちろんこれまでに何度も実践した内容ですが、オンライン用にパワポの画面に「ケネディ演説」の和訳など2か所の「STOP」を設けて、考えてから次に進むようにしました。それと内容を補足する「ちょっと解説」画面、それにホームワーク用の特別画面を用意しました。今回は3枚の図を使って生徒に社会認識教育の意義を伝えるとしたら、あなたならどんな説明をしますか、というものです。