my stage(自己紹介など)
            
 

  ■ 教育直語 過去の研究室日誌へのリンクは最下段に
不要不急






-6月30日-
 養老孟司氏に先をこされました(文春ムック)。曰く「人生は本来不要不急」。その通り。不都合を急ぎ解決したいという欲求がさまざまな制度や器具を生み出し、それが肥大化して「生きること」そのものの意味が見えにくくなってしまうという意味では、ホールのextension transferenceやイリイチのconvivialityの視点と通底します。教育界でも、授業モデルやジェネリックスキルの類いが幅をきかせ、25日の本欄で回顧したような不要不急の場面など研究にも論文になりませんから、ほとんどの大学の先生は見向きもしません。むべなるかな。







-6月28日-
 平均以上にホモモーベンスな小欄にとっては、巣ごもりという退職後の「新しい生活様式」にはなかなか順応できません。電車に乗ってどこかへ出かける理由をいつも探しています。近所のNさんが誘ってくれたので、今日は大阪市内にある猫カフェに出かけました。久しぶりに猫と話ができたしナデナデもしてやれたのですが、拙宅の庭をベースに神社の森などで奔放に遊びまわっていたかつての猫たちのイメージがまだ残っているものですから、どことなく淋しさを禁じえませんでした。里親との幸運な出合いがあることを祈るばかりです。
在宅勤務






-6月27日-
 可能な職種に限られてはいるでしょうけど、そこそこ定着してきているようです。と言っても完全に出勤しないというのではなく、3日ぐらいは自宅で書類作成などをして、残りは出勤して情報交換や資料確認をするというのが多いようです。な~んだ。それなら数年前から小欄はやっていました。そうか、時代の最先端だったんだ。一部には、これを機会に自然豊かな田舎暮らしにチェンジという向きもあるようですが、早まったらロクなことはないと思います。マスコミはこぞってもてはやしますが、失敗して逃げ帰った事例は放送しませんから。
坂道の記憶






-6月25日-
 もう還暦を過ぎたでしょうが、当時は花の高校1年生。たまたま下校時に一緒になったので、阪急の駅まで長い坂道を一緒に帰りました。その15分ほどだけの記憶がまるで切り取られたように鮮烈に残っています。授業などを離れて生徒・学生とあれこれ話す場面なんてのは、以後の長い教師生活では無数にあったことなのですが、あの15分は、たぶんその初めての経験だったのでしょう。だから・・。彼女の名は奥野順。生徒の名前を覚えるのが不得手な小欄なのにまだ覚えてる。不思議です。その長い坂道を今日46年ぶりに歩きました。
新教科書





-6月24日-
 今日は市立教育総合センターへ来年度から使用される中学校の教科書を見に行きました。秋の学会発表がらみの「調査」なのですが、どうしてもというほどのことでもなく、半分は野次馬根性と散歩目的でした。採択をめぐる不祥事以降、見本本の管理は恐ろしく厳しくなっていたのですが、教科書展示会だけは別。アホみたいにオープンで、コピーも写真撮影もまるでフリー。某社の地理的分野の教科書に「地球33番地」のコラムを発見、懐かしかったです。
総合知の時代なのに






-6月22日-
 最新の医療技術たとえば遺伝子操作などに際しては、それが本当に人類のためになるのかどうかを倫理委員会のような組織が多方面から審議します。しかしデジタル技術に関しては全くノーチェック。ですので、結果的にSNSで自殺者が出ても反社会的な情報が人心を惑わせたりしても打つ手なし。新技術に対して社会心理学、精神医学、人間学、行動経済学、哲学などの諸知見がその光と影をなぜ事前にチェックしないのでしょう。オンライン授業で子供の近視が続出とか。それをもてはやした技術屋さん、あなた責任とれないでしょ?
コロナ対策というコロナ





-6月20日-
 毎号楽しみにしている『クライテリオン』の7月号が届きました。当然のごとくコロナ関連の記事が満載。いつものことながら巻頭座談会は読みごたえがありました。今回の騒動を死生観や文明論、人類史の域まで遡って縦横に論じていて痛快でした。ゼロリスク幻想や誤った生命至上主義が自粛全体主義を誘発し、およそ正気の沙汰とも思えない感染「対策」が市中に氾濫していて、それに異を唱えると袋叩きになるというのは、まさに大政翼賛会的状況です。
リフレッシュ!






-6月18日-
 コロナ自粛でも散歩は自由ですから、それなりに外の空気を吸うことはしていたのですが、できなかったのが人とのおしゃべり。健康維持にはやはりこちらも大切です。今日はそのおしゃべり相手がみつかったので、例の長寿蔵にお誘いしてビールや銘酒を味わいながら2時間ほどリフレッシュの時をすごしました。対面型オンライン授業だと操作を忘れるとキョロキョロしてもバレバレになるので学生はぐったり・・とか、録画アップ型だと学生は面倒になると早送りしてしまう・・とか、在宅勤務(会議、授業)というのもある意味楽かも・・とか。
図書館





-6月17日-
 図書館というところにこれまでほとんど足を運んだことがありませんでした。職業柄欲しい本は研究費で買えましたし、ゆっくりその他の本を読む時間的余裕もなかったからです。退職してようやく「行ってみようか」という気になって、先週、近くの市立図書館へ行きました。少し距離はあるのですが散歩にはちょうどいい遠さです。今更どうでもいいのですが、教育書の少なさにはちょっと驚きました。拙著は残念ながら1冊しか収納されていませんでした。まっ、いいか。
久しぶりの遠出





-6月15日-
 小欄にも人並みに氏神様があって、生まれが京阪沿線だったものですから畏れ多くも石清水八幡宮をそれと奉じています。たぶん40年ほどお参りしていなかったのですが、退職のご挨拶ということで今日出かけました。淀屋橋で待っていると出町柳行き特急8000系ダブルデッカーが運よく来たので2階席で景色を楽しみました。子供のころは参道を駆け上がったのですが、今日はもちろんケーブルで往復しました。少しですが森の中を歩いて気分転換満点です。
どこまでやるか






-6月13日-
 黒人虐待殺害事件をきっかけに、過去の奴隷制度を連想させる銅像が破壊されるなどの暴動が全米で続発。コロンブスまでやり玉に挙がっていて、PCの暴走の観があります。小欄は『社会科教育』誌97年度連載の最後のコラムで「成熟ということ」と題して、フンシャルのサンタ・カタリーナ公園に立つコロンブス像をとり上げて、「現在の価値観をもってすれば非道の犯罪者」の銅像を据え続けているのは一種の成熟ではないかと論じたのですが、現実はそれどころではないようです。そのうちアメリカという国名すら変えろなんてことに??
七転八倒の末に





-6月12日-
 秋の学会での発表題目改訂版が出来上がりました。メインテーマは誰が見ても小学校実践がらみで、サブテーマはどこからみても中高の新指導要領に関する話題です。メインとサブを入れ替え表現を改めたので「悪質度」はかなり減じていますが、実践レベルの研究で小中高を大風呂敷でくるんだというスタイルには変わりはなく、分科会編成の担当者は頭を悩ますかも。それにしても、これまで、小学校がどうとか中学校がどうとか、そんな研究の多かったこと!
新宿 vs ブラジリア






-6月10日-
 テレなんとか、オンラインなんとか、リモートなんとかの花盛りです。目新しさに満ちているものですから、マスコミが競って珍風景を流しています。それが本当に必要で効果的なものであれば生き残るでしょうが、多くはコロナが下火になるにつれて衰微していくことでしょう。オンライン飲み会なんて真っ先? 昔話ですがブラジルが新首都ブラジリアを建設したとき、そのすばらしい都市計画にもかかわらず人口が増えず活気が出てこないということで、調べたらその原因の一つは「飲み屋街がない」ことだったとか。人間には夜の街も必要で・・。
秋の学会






-6月9日-
 先週、いいことがありました。「予断を許しませんが」という留保つきですが、予定通り開催する方向とのことで、一次案内が届いたのです。めあてができるのはいいことです。早速、学会事務局が七転八倒したあげくに悶絶死しそうな悪質な発表題目を考えたのですが、一昨日、文献をあたっていたら発表の論理に「穴」を発見したので、少々考え直して、目下、七転三倒程度の発表題目を検討中です。題目は発表内容のツボを的確に指し示しなおかつフロアの好奇心をくすぐるような微妙な表現が必要です。う~ん、こっちも七転八倒だ。
反論、そもそも~






-6月7日-
 映像提示型のオンライン授業のメリットについて某教授が新聞で指摘していました。反論しておきましょう。①「映像は外部にもれる可能性があるから下手な授業はできなくなる」⇒そもそも、人に見られて困るようなくだらない授業を垂れ流しているのが問題。オンラインの是非とは無関係。②「何度も繰り返して視聴できるので理解が深まる」⇒繰り返せるという安心感が集中力を減退させる。そもそも教育というのは一発勝負、再現不可能性にこそ意義があるものだという哲学的な視点が、この教授の認識からはすっぽり抜け落ちています。
先見の明だよ






-6月5日-
 変則的ではありますが学校が再開されました。3月14日の本欄「思い付きですが」で提案した学校の二部授業制があちこちで採用されています。エヘン! 関学の学部授業は受講生64人で、レポートを提出させたら総数400枚を越えます。そんな添付ファイルをいちいち印字するのは大変な手間なので、学期末に一括郵送させることに4月当初から決めていました。先日関学から「学期末に印刷物で一括提出させるのも一考」とのお触れが出ました。なまじっかオンラインにするよりも郵送の方が利便性が高いなんてどっかで聞いたような話。
近代化の果てに






-6月3日-
 前項で嘆いたプロの減少ですが、正確に言えば素人が前面に跋扈し始めた結果としてプロの輝きが見えにくくなったということです。西部邁氏はずいぶん前に、「モダニズム→テクノロジズム→バルガリズム→ニヒリズム→ファンダメンタリズム→テロリズム」という近代化から暴力に至る図式を公にしましたが、技術主義と俗悪主義の間にグローバリズムとアマチュアリズムを付け加えると一層現実味が増すように思われます。ISと比べるとずいぶん薄っぺらではありますが、昨今流行の自粛警察なるテロリズムも時代の必然なのでしょうか。
プロいずこ






-6月2日-
 「ダイヤモンドプリンセス」の騒ぎのとき、右往左往する役人や医療関係者を尻目に、洗練された命令系統と迅速な処置で船外の病院での隔離分も含めて感染拡大を見事に封じた自衛隊の活躍が、今頃ですがあらためて評価されています。危機管理のプロとしての面目躍如でしょう。あらためて思うのですが、もう何十年も前から指摘されてきたことですが、数十年の訓練、修養を積み、それなりの誇りと責任感をもった「プロ」が少なくなりました。プロの芸人、プロの店員、プロの政治家、プロの官僚、プロの評論家、そしてプロの先生。