 |
■ my stage(自己紹介など)
|
| ■ 教育直語 過去の研究室日誌へのリンクは最下段に |
■時間、時数、日数
-4月29日- |
コロナ休校で勉強の遅れが心配されていますが、授業時数の補填なら簡単で、小学校では45分とされている一単位時間(あくまで標準)を運用で30分に短縮すればいいのです(理科実験や体育などは2コマ連続)。これで1日に9コマは可能。授業日数は減っても一応辻褄は合います。もちろん指導要領や教科書は45分を想定していますから無理があるのは当然ですが、これに土曜授業や行事の精選、夏休みの短縮などを合わせればナントカなりそう。オンラインよりはマシでしょう。友だちにも会えるし給食も食べられる。いかがですか。 |
|
|
■素朴な疑問
-4月28日- |
今日、ふたたびハローワークへ行って雇用保険の請求手続きをしました。書類を見ていて知ったのですが、「就労」とは一日4時間、一週間20時間以上の労働を言うのだそうです。これまでのほとんどの仕事の場合、出勤と退勤の時刻をそこそこ確認できるので問題ないのですが、テレワークの場合は本人の申告しか方法はありませんし、「時間」以外のたとえば「成果」で判断するなんてのは、よほど特別な仕事でなければ無理です。「働き方改革だ、これからはテレワークだ」という勇ましい声もありますが、そう簡単にいくものでしょうか。 |
|
|
■令和2年
-4月26日- |
今年の流行語大賞はブッチギリで「三密」が第1位でしょう。「PCR」「テレワーク」がそれに続くのはほぼ確実と思われます。ポストに投げ込まれるチラシ広告が激減し、ゴミ収集所ではビールの空き缶が目立って増えてきました。経済が回らなくなるとどうなるのかという壮大な実験の真っただ中にいるのを実感します。小欄はシルゲジ駅のホームに降り立ったような立場ですからいいのですが、今春卒業して「いざ社会へ」と張り切っていた学生たちは今どうしているのでしょう。手を焼いた子もいますが、やはり教え子のことが気になります。 |
|
|
■よかった~
-4月24日- |
三密は避けるようにとのことなので、密集、密接、密閉はおろか密談、密告、密会もひかえているので本当に欲求不満のたまる毎日です(笑)。でもうれしいこともありました。関学の受講生からメールが届くようになったのです。慣れない関学のシステムを使って恐る恐る課題を掲示したので、受講生に本当に届いているのか、見てくれているのか不安だったですが、学部生からは質問が、そして院生からはレポートとそれにかかわる突っ込んだ議論メールがきて、教育関係論を論じあうまでになりました。やっと孤独から解放された思いです。 |
|
|
■ダクオン
-4月22日- |
サラサラよりザラザラ、汚いよりバッチイ、細菌よりもばい菌の方がイメージがよくないことを、「濁音の減価意識」と言うそうです。清湖口氏によれば奈良時代の日本語には語頭に濁音が来る例はなく、それが現在にまで影響しているとか。なるほどボケ、ドジ、バカ、グズ、ザツなど、イメージのよくない例はいくつも思い浮かびます。その伝からすると、氏が指摘しているようにウイルスよりもビールスという方がよさそうですし、COVID-19などという符号めいた表現よりも、はっきりブカンビールスと読んだ方が実態をよく表していることになります。 |
|
|
■ゴメラ島はるかなり
-4月20日- |
楽しみにしていたゴメラ島へのツアーがついに催行中止に。日本時間今朝のTVEの報道では、あのあたりには感染はもうないということでしたし、島に行くだけなら個人的にも可能なのですが、IBが止まっていますからどうしようもありません。当初の計画では学部の「信長も知らなかった恐るべき陰謀」の授業でサンセバスチアン・デラ・ゴメラの風景写真を見せることにしていて、そのために授業計画を慎重にたてていたのですが、すべてパアになりました。ただ、今日、関学の院生から問い合わせメールが来ました。わずかですが灯です。 |
|
|
■定義
-4月18日- |
時代遅れの教育屋の独断的定義によれば、授業とは「教師が子供に元気をもらう場所」です。実際、「今日はキツイな」といやいや出かけても、教室に入るやいなや蘇って、学生とワイワイやっているうちにすっかり元気になる・・というのは日常茶飯事でした。この独断的定義をもってすると、オンラインで学習させるというのは、およそ授業の範疇には入らないでしょう。オンラインでも知識伝達に偏らない教育は可能だと新聞にありましたが、それは非常にマレな例でしょう。伝統的な学校のスタイルがそう簡単に変わるとはとても思えません。 |
|
|
■ハローワーク
-4月16日- |
・・というところは厚労省の職員の雇用維持のための施設だろうと悪口を言っていたのですが、いよいよお世話になることになり、今日、雇用保険の申請手続きに行ってきました。時節柄覚悟して出かけたのですが特段の混雑はなし。雇用保険は再就職までのつなぎというのが建前なので、再就職希望(職種、時間帯、給与、場所など)の内容を細かく書かされました。超適当に回答欄を埋めて申請。久しぶりに電車やバスに乗れて、いい気分転換になりました。 |
|
|
■非と異
-4月15日- |
某番組で興味深い表現に出会いました。旅館のご主人の言なのですが、「非日常から異日常へ」というもの。かつての温泉旅館というのは、豪勢な料理を並べ時に芸者遊びなどにも手を出して非日常を満喫するものでしたが、昨今は、自分たちの日常とは異なるもう1つの日常を味わう人が増えてきたという見立てです。たしかに小欄も、海外をうろついていた頃は、豪壮な博物館や遺跡などよりは、安ホテルを根城に市街を徘徊する方が楽しかったです。この「非と異」の対置、教育論にも援用できないかと、性懲りもなく妄想しています。 |
|
|
■深草さんから
-4月13日- |
新著『ラジオで語った日本の社会と文化』を恵送いただきました。彼の博覧強記にあらためて感服しながら一気に読み進めました。「専門は何かと問われることをもっとも苦手とする」とはかつての同僚の言ですが、彼もまたしかりでしょう。もちろん「社会科教育」という看板を一応掲げてはいるのですが、大学村では当然の風景、つまり、これと見定めた井戸をひたすら掘り進めるという、悪く言えばドツボ型とは違い、嫌味のない程度の高みから人間世界を俯瞰して、高遠な知的世界へ人々を誘うという、研究者としての勤めを果たしています。 |
|
|
■オンライン・・ですか
-4月11日- |
非常勤で行くことになっている関西学院ですが、とりあえず5月12日まではオンラインで授業をということになりました。と言っても、テレビ会議システムのようなことをやるには設備も技能も必要ですので、文科省がはりきって推奨してきた模擬授業だのアクティブラーニングだのは逆立ちしたって無理です。一時休戦ってとこでしょう。小欄にとってはむしろ気が楽になりました。頑張って作ってきた授業はオンライン化してしまうのはモッタイナイので、コロナ終息後まで大切にしまっておくことにして、代わりに特別編成の教材を急遽用意しました。 |
|
|
■小さな発見
-4月9日- |
30年前、兵庫から高知に引っ越していろんな異文化を味わったのですが、なかでも覚えているのが「県外人」という呼び方。それまでは聞いたことがなかったのでずいぶん奇異に聞こえました。それはともかく「県外」という言い方は一般に使われるのですが、コロナ感染に関して「県外への移動を避けてほしい」と言われてふと思い至りました。「都外」や「府外」なんて言い方はありません。もちろんのこと「都外人」とか「府外人」なんて言われたら奇異どころではありません。「言葉がない」ということが人口流動性の高さを表しているんですね。 |
|
|
■授業やりたいよぉ
-4月7日- |
緊急事態宣言のあおりで関学も21日以降の通常形態での授業開始を断念しました。2週間だけの遅れならばオンラインだのリモートだのと大騒ぎせずとも神戸大方式で1コマを105分にすればそれで済むのですが、3週間以上となると無理。小欄の場合は授業に命をかけていますから、無観客というのは想定外で、代替課題をアップして受講生にやらせるなんてのは論外。時間に余裕があったので今年度の授業内容は格段に面白いものに仕上がりつつあるのでなおさらです。「集中」か秋学期への移動ができれば一番いいのですが。 |
|
|
■正直に書けば
-4月6日- |
本来なら大学も今週授業開始のはずでした。近隣の国立大やとくに福祉系の私学は「予定通り」と踏ん張っていましたが、京産大クラスターの一件が報じられるやいなや、手のひらを返したように第4週もしくはGWあけへと始業を遅らせました。万が一感染者を出したら私学にとっては甚大なイメージダウンです。前例がまったくない状況下で、現場では諸手続きの日程変更、学修の指示、会議の連続などで天手古舞だと想像できます。高齢の小欄はダウンしていたかもしれません。不謹慎を承知で正直に書けば、「退職しててよかった」。 |
|
|
■自虐的教育論
-4月4日- |
所詮・・の続きですが、どんなに理想を掲げて教師が踏ん張っても、そこには限界があるしまた限界がなければ困ります。授業や指導要領どおりに子供を変えることができるなら、それは教育ではなく洗脳なのですから。社会科のご本家アメリカのフロリダでも、コロナどこ吹く風で騒いでいる若者がいて、感染が広まってはじめて本人たちも大慌て。意図的な(学校)教育と意図せざる(手痛い)体験とがないまぜになって人間とその社会を形作っていくのでしょう。 |
|
|
■自虐的社会科論
-4月3日- |
コロナの感染が広がっています。ネオン街での飲食自粛が叫ばれていますが、テレビでは無遠慮にはしゃぐ若者の姿が。一定程度の「アホ」が出るのは仕方ないとは言え、こういう光景をみると、ネタだのクイズだの業界裏話だのオタク的科学論だの、いわば平時の議論に入れあげてきた戦後社会科の無残な敗北なのかという思いを禁じえません。29年前、小欄は「社会的自己認識」なる造語を世に問いましたが、有事の環境下でこそ「社会的存在としての自己の認識」の有無が問われてきます。と、まあ勇ましく書いたのですが所詮・・。 |
|
|
■春
-4月1日- |
今日からめでたく無職です。本来ならこういう人生の節目にあたってそれなりの深い思いを吐露しなければならないのですが、どうもそういう雰囲気ではありません。一つには、2月以降これといって大きな仕事もなかったので出勤の頻度が徐々に少なくなっていたこと、4月以降も非常勤とは言え教育漫談を続けること、それと、星陵高校OB4人組の会食を除けば、コロナ騒ぎで盛大な送別会のような儀式がなかったことがその原因でしょう。おかげで「日常」に大きな変化はなく、関学の授業開始(21日)に向けて授業づくりに勤しんでいます。 |
|
|
○
○ |
|
|
|
|
|
|
|
|