■ 教育直語 
矛盾(2)






-4月29日-
 その理由は、①2年次に必修の「教科教育法・社会」があるので、新旧比較のような細かなことは後任の誰かさんにお任せすればよい、②受講生の全員が採用試験を受けるわけではなく、実際に教壇に立つのは限られた人数である、③文字ばかりの指導要領の誌面よりもきらびやかな教科書の方が圧倒的に教材性が高い、④教科書編集に長年携わってきた経験を活かしたい・・の4点です。それにしても来年度は新しい教科書が出来上がっているにもかかわらず、今年の1年生はこの春購入した旧教科書で学ぶ破目なります。ハァ?
矛盾(1)





4月28日-
 「社会(小)」の授業準備をしていて困っていることがあります。学生に買わせたテキストは例年どおり東書の教科用図書と指導要領なのですが、当然ながら前者は現行本、後者は29年告示の最新版です。内容が大きく変わっているわけではないのですが、3・4年上下が3年と4年になり位置づけが変わった小単元もあります。教員養成の王道からすれば指導要領にしたがうべきなのですが、結局、教科書の配列に沿って授業内容を構成することにしました。
学会めぐり・続





-4月26日-
 20日の学会の件ですが、講義の関連行事として学生も参加するので国際理解教育学会は当然行くとして、あと一つをどちらにするか検討していたのですが、長崎大学で行われる日本国際文化学会の方に参加することにしました。公民教育学会だと2週連続で外泊することになりますし、あそこのHPはいまだ更新もされず詳細不明でいささか気分を害したからです。長崎へは県教委訪問や私学訪問で何度か訪れていたので、ひさしぶりに楽しみではあります。
任命責任論





-4月24日-
 ここのところ大臣の失言→辞任が続いています。そのお粗末にはあきれるばかりですが、一方そのたびに繰り返される任命責任論にも閉口しています。だって、これは典型的な後出しジャンケンの論理で、不祥事が起こってから過去を問うのはアンフェアというものです。資質に問題のある大臣が選ばれたのならその時点で声を上げるべきで、それが無理なら、「任命責任」などと言って大臣批判を政権批判にすり替えるような子供だましの手は使わないことです。
移ろい





-4月22日-
 桜のあとを追いかけて大好きなハナミズキの季節がやってきました。以前は好きな花はと問われたらリンゴ、桃、アンズと答えていたのですが、最近はハナミズキのファン。年齢によって趣味も移ろうものです。活気に満ちたスペインよりも緑豊かなポルトガルに、シャキシャキのパリよりも、ゆったりと時間が流れるモンペリエの方が好ましく思えるようになりました。こういう移ろいをさして「発達だ」「発達ではない」などと言うこと自体むなしいと思うようになりました。
学会めぐり





-4月20日-
 教育屋稼業も最後となると、いまさら買うべき物品もなく、書籍代もしれているので、40万もある研究旅費を使って今年はせいぜい学会を覗きまわって、最先端の(あるいは相変わらずの)議論を楽しもうと思っています。6~7月のシーズンには異文化間教育(明治大)、国際理解教育(椙山女学院大)、公民教育(九州大)、国際文化(長崎大)の各学会があります。国際理解教育学会とあと一つ九州方面のどちらかの学会に行こうと、いま作戦を練っています。
グッバイ、パートナー






-4月19日-
 以前録画しておいたルパン三世最新作「グッバイ、パートナー」をやっと見ました。相棒の次元大介が敵に回るというその設定をさして「グッバイ」だとする前宣伝があるのですが、それは完全な引っ掛けでした。暴走する人工知能に例のメンバーが闘いを挑み最後はショパンの革命のメロディが人類を救うというラストシーンは非常に示唆的です。パートナーとは科学技術のことだとわかります。第1作の「vs複製人間」もそうでしたが、このアニメは結構「社会派」なのです。と思っていたらモンキーパンチ氏逝去。数多のいい物語をありがとう!
時間を支配する






-4月17日-
 元号なるものは、権力者が「時間を支配する」という思想に由来すると言われています。古代中国では確かにそうだったでしょうし、我が国でもそういう時期があったかもしれませんが、「西暦」がまかり通っている現代日本では、そのような意味は微塵も感じられません。いまだに「時間を支配している」のは中国の標準時ぐらいなものでしょう。東部の北京と西端の経度差は45度。すなわち3時間の時差があってしかるべきなのに、かの国は全土が北京時間に統一されています。西部ではまだ真っ暗なのに「朝」。人権侵害極まれり・・です。
発問





-4月15日-
 今日の3時間目は、満を持して「Pちゃん」の2回目。ここで用いた主発問「NHKのディレクターはなぜこれを教育ではないと言ったのか」は、小欄が振りまいた怪しげな発問群のなかでも、「保護されてオットセイは増えたのかそれとも減ったのか」と並んで超一流のものだと自負しています。いずれも一筋縄では答えが出ませんし、最終的に出てきた答えの意外性には相当のインパクトがあります。この授業はあと1回だけ冬休みに鳴教大の集中講義で実施します。
特殊相対性原理






-4月14日-
 アインシュタインが予言したブラックホールが実際に撮影されたというニュースが。重力によって時間が遅れ空間が歪むという一般相対性原理は難しそうですが、な~に、身近のところにいくらでも例は転がっています。ネット情報を見たりメールを打ったりしていると、とうに30分ぐらい経っているのに本人には5分ぐらいしか経っていないように思われます。電車のドア付近でつ突っ立ってスマホにしがみついている連中には半径50センチ以上の空間は存在しないかのよう。もっともこれらは相対性じゃなくて絶対性原理と呼ぶべきでしょうか。
猫と狐






-4月12日-
 国語教材「ごんぎつね」の研究で有名だった生野教授が、退職まで1年を残して3月に退職。それにともなってディアスポラ状態になった4年生7人のゼミ生(通称:狐ゼミ)の処遇が問題になったわけですが、当初のゼミ配属希望調査で小ゼミを第2希望にしていた学生が多かったこともあって、結局6人を引き受けることにしました。一度に総勢16人を相手にはできないので、負担は増えるのですが、狐ゼミと(分別上名付けた)猫ゼミを別々に開講することにしました。今日は狐ゼミの第1回、事情説明とまずは個人面談(2人)でおしまい。
VEGAN






-4月10日-
 「未来世紀ジパング」という番組で初めてこの言葉を知りました。動物性のものを一切含まない食品のことで愛好者が広がってきているとか。NHKBS1の「@NYC」でもバーガーキングがビーガンバーガーを始めたという話題を取り上げていました。感心していたら、先日イリットさんがくれたお土産のお菓子もビーガンでした。要するに菜食主義をさらに徹底させて、動物を食うヤツは野蛮だと考え実践する思潮です。世の中変われば変わるもんです。この調子だと「歩きスマホはダサイ」という時代が案外早く来るかもと期待したくなります。
最後の最初





-4月8日-
 教育屋稼業最後の年の最初の授業です。まずは「社会(小)」。新入生と7人の再履修合わせて56人の大所帯です。結構ざわついています。事務連絡などのあと「Pちゃん」のビデオ視聴と課題の提出。続いて4時間目は「異文化理解と教育」。とりあえず受講生は顔なじみの4年生が4人。イリットさんのお土産のお菓子を味わいながら、それにひっかけてコーシェルとかイスラム暦とか雑多な話題をおしゃべりしました。久ぶりだったので、喉が少々痛くなりました。
宝塚高校同窓会





-4月6日-
 2月末のフグ料理に始まる宴会続きも今日の同窓会が最後。会場の「がんこ寿司」のあたりは宝塚駅のすぐ近くなのですが、何十年ぶりかで歩いてその変わりようにびっくりです。会場のお座敷には「祝 卒業50周年」と書いてあって、そうかと改めて時の流れを実感しました。お昼の会だったので女性も多く総勢16人。終了後、桜満開の「花のみち」を歩いて「宝塚文化創造館」へ行き、宝塚歌劇の歴史映像などを見たあと宝塚ホテルでお茶。5時半過ぎ解散。
先生・・ですか





-4月4日-
 統一地方選挙たけなわ。満開の桜を見ながら原川沿いの道を河内国分駅に向かって歩いていると、選挙カーから「先生、お疲れ様です」の声。見ず知らずの候補者から「先生」と言われたら世も末です。40年ほど前、インドのブッダガヤで物売り男がニホンジンとみるとあたりかまわず「先生、社長」と言っていたのを思い出しました。イスタンブールのバザールでも「先生」はよく聞きます。しかし国内で言われたのは初めてです。「事実」だけにいささか気分が悪い。
イリットさん来日





-4月2日-
 昨日はイスラエルからイリットさんが来たので、夕方、西梅田のANAホテルまで駆け付けました。昼すぎにCXで関空に到着してそのまま大阪城を見てちょうど部屋に入った頃合いにこちらも到着。20人ほどのグループで、夕食は少人数ずつ分かれてうどんや寿司など。小欄は彼女と堂島地下街でとんかつ定食。しばしイスラエル談義。今日は自宅で授業準備。一部のゼミ生の履修登録が確認できず、自宅からメールや電話で指示を出してそれも無事終了。
新元号






-4月1日-
 「「レイチ」というのが小欄の案だったのですが、新元号は「レイワ」になりました。一字違い、惜しい! 天皇制度やそれにまつわる元号について積極的に反対する人もいれば「グローバルなのに」ととまどう人もいるでしょうが、そんな声を蹴散らして、世は改元の大騒ぎ。経済効果も相当なもの、3月21日の項に表意文字の衰退を嘆きましたが、なんのなんの、伝統はしっかり息づいています。それにしてもキリスト教世界ではこんな大騒ぎは100年に一度。経験せずに一生を終わる人もいるでしょう、それにひきかえ日本は‥。ありがたきかな。