■ 教育直語 過去の研究室日誌へのリンクは最下段に
授業、会議、研修会






-11月28日-
 相変わらずゲホゲホ状態ですが、一昨日より少し楽に授業ができています。同僚に「インド風邪だ、寝屋川風邪や枚方風邪とは違う」と言ったら「カッコイイ!」という想定外のリアクション。普通は条件反射的に見舞い系の言葉でてくるのに・・。愉快でした。午後は会議が2つ。さらに個人情報保護の研修会。これは小欄が「長」をしている委員会の主催行事なのでゲホゲホだろうが抜けるわけにはいきません。講師の出迎え、見送り、講師紹介挨拶などの要務をなんとかこなしました。自由軒で1年ぶりにカキフライを食べて9時過ぎ帰宅。
ゲホゲホ






-11月26日-
 いわゆる北インドとアジャンタ・エローラを一度にまわるツアーは珍しいので参加したのですが、実質6日間ですからやはり日程は窮屈。それと安価だったが故かもしれませんが、食事が合わず、後半はヨガ行者の断食修行のような状態で夜のホテルが寒かったこともあって、すっかり風邪をひいて帰国しました。しかも商売道具の喉をやられて痰に苦しんでいます。今日は近くの内科経由で大学へ行きました。授業でしゃべり始めたら咳こんでどうしようもなくなりました。早めに帰ったのですが、人身事故とやらで電車ストップ。泣き面に蜂。
変・不変





-11月24日-
 空港設備や有料道路、都市郊外に並ぶ高層マンションなど、景観の変わりようは明らかなのですが、それも一部の話。たかだか40年でインドの基層文化は変わりようもありません。モータリゼーションの進展や都市への異常な人口集中、観光客の増加があっても、それはインド的なるものを消し去ってのことではなく、逆にそれゆえにむしろインドらしさが増幅されたという面も少なくありませんでした。天候に恵まれた1週間で雨は一度も降らず。12:05定刻関空着。
帰国の途へ






-11月23日-
 以前、ここオーランガバードのバンガローに泊まったとき、蚊取り線香を焚いて寝たら、朝、虫の死体で部屋じゅう足の踏み場がありませんでした。もちろん今回のツアーは一応そこそこのホテルなので安心です。ただ食事がイマイチ。どこもそうでしたが、カレーは単に辛いだけ。小欄にはスリランカのそれの方がはるかに口にあいました。さて最終日、エローラ遺跡ほかを見て空港へ。デリーで乗り換え。ラウンジで着替えをすませました。帰路のAIは往路と大違い。スリッパ、アメニティ、掛布団完備。飲み物サービスも完璧。不思議ですね。
これでも道路か?






-11月22日-
 日中は30度前後なのですが、朝夕は少しひんやりとします。深夜にはホテルの部屋がずいぶん冷えて風邪気味です。連泊だしアジャンタは以前にも見たので今日はホテルで一人ゴロゴロしてようかなと思ったのですが、まあ何とか行けそうなので出発。遺跡の手前の駐車場で降ろされ、ショッピングプラザと称するテント張の怪しい土産物街を通り、さらにシャトルバスに乗らないと遺跡にたどり着かないという完璧な設計になっていました。オルゴールの櫛歯のごとく跳ね上げられ、ピザ生地のように左右に揺すられた往復200キロでした。
文様






-11月21日-
 今日はアンベール城の見学です。楽しみにしていました。壁の幾何学模様の中に動物が描かれてあったりして明らかにイスラムとヒンズーが共存しています。一昨日訪れたタジマハールはインドの代表的な観光地ですが、これはイスラム建築です。昨日訪問したアグラ城ではこれにキリストの十字が入り、(現地ガイドは否定していましたが)ダビデの星としか言いようのない文様もありました。少なくともこの界隈では異教への抵抗は少なかったようです。午後、有料道路(牛は無料)をひた走り、デリー経由でオーランガバードへ飛びました。
憧れのラジャスタン





-11月20日-
 大学教員となり高知に引っ越して、初めて自炊したときのメニューが「肉とポテトのラジャスタン風」でした。そのラジャスタンの首都ジャイプールは今回の訪問が初めて。信号機がついていてみんなそれを守っています。穏やかな山に囲まれた町でどことなくアラブっぽい雰囲気があり、心が和らぎます。白牛の割合が増えました。それにしても40年の間に牛の栄養状態はかなり改善されたようです。シティパレスと風の宮殿を見ましたがいずれも興味湧かず。
ガンガの夜明け






-11月19日-
 早朝、ガンガガートでの沐浴を見に行きました。多くの船が手漕ぎからエンジン付きに変わったこと、やたらと客が多い事ををのぞけば、さすがにこちらは往時の雰囲気を残しています。火葬場も、バックパッカー転じてここに住み着いてしまったくみこさん(もう62歳になったとか)の家もそのままでした。交通信号はあっても壊れているし牛の排泄物があちこちに散乱していますから歩きスマホなどとても無理。物乞いの多さも相変わらずですが、シバ神の派手な衣装に身を包んだ物乞い少女が出現したのには仰天。もう少し「らしく」してよね。
バナラシ






-11月18日-
 今回のツアーは首都デリー(ニューデリーなどという都市はない!)をすっ飛ばすという珍しい行程で、今日もホテルからすぐにバナラシへ。夕方、河岸でお祈りがあるというのでオートリキシャで出かけました。車間距離(前後も左右も)数十センチ状態でけたたましいクラクションを鳴らして進んだのですが、少なくとも追突4回。6キロほどの道を小一時間かけて到着したガンガ(ガンジス川)ガートでのお祈りは明らかに観光用の見世物。「死を待つ人の家」に漂っていた冥界と俗界の交錯したゾッとするような空気はどこにもありませんでした。
いざ出発






-11月17日-
 13:45関空離陸。エアインディア(AI)の評判は芳しくないようで、実際、食事メニューはなし、スリッパも食後のコーヒーも入国カードもリクエストベース(23日の記事参照)。ただ、和食(KIXHKG)も中華(HKGDEL)もそこそこの味付けで量もまあまあ。ネットに文句を書いているのはよほど食い意地の張った連中でしょう。ほぼ定刻にインディラガンジー国際空港到着。以前入国したカルカッタでは薄暗い到着ロビーに牛がいっぱい寝ていたのですが、もちろんそれは昔話。主要国の首都の空港ならどこにでもあるような華やかなターミナルです。
天竺はるかなり






-11月15日-
 カルカッタ空港の税関の係官とも「贈収賄関係」(笑)にあるほど彼の地に知り合いが多い「超インド通」の先生が主催した「手作りツアー」に参加したのはもう40年ほど前のこと。2晩続きの夜行列車、現地の食事を一切口にしなかった年配者とそして小学生以外の全員が下痢に見舞われ、「パンツを履く暇がない」という名言まで飛び出した悲惨な旅でした。あの国は変わったのか、まだ変わってないのか、元気なうちにもう一度見てみたい・・、ということで、今回はまともなツアーで再訪することにしました。明後日、関西空港から出発します。
あと・さき





-11月14日-
 低学年にまだ社会科があったころ、2年生の単元で「パン作りをしてからパン屋見学するか、見学したあとでパン作りをするか」という話題がありました。小欄は前者がいいという立場でした。そのことを思い出したのは、先日、「提案する社会科」のレジェンド授業である「花いっぱい道路を作ろう」を2年生に見せたときの学生の反応がイマイチだったから。やはり「深い授業」は、実習を終えて自分の体験と重ね合わせて見ることのできる3年生に見せる方が正解。
プランニング演習






-11月12日-
 今回のお題は「訪日外国人のための1週間の日本ツアー計画」。もちろん条件がいろいろ。客はリヤド大学の学生、男性、大金持ち、日本語ペラペラ、数年前に東京、大阪、奈良、京都、広島は訪問ずみ、時期は11月、日本の自然や歴史、文化を満喫したい、公共交通機関利用、教科書にある各県の特産品を2つ含む食事・・。5人の学生が思い思いのプランを発表しました。ワインの試飲、豚骨ラーメンという「大問題!」もありましたが、高山朝市の見学や信楽焼の体験、熊本城の修復見学、北海道でスキーなどアイデア満載でした。
新自由主義






-11月10日-
 続けて書けば、情報を右から左に流して大衆から金と時間と思考力を奪ってそれでボロ儲けしている「虚業」の跋扈、グローバリゼーションへの賞賛とそれへの追随、学級(学校)崩壊や教職大学院の悲惨、民泊、仮想通貨、総選挙ばやり・・などなど、小欄からすれば「どっかおかしい」現代社会の歪みを見事に一括りにしたのが「新自由主義」というコトバです。じつは購読している隔月刊誌がそれを掲げた特集を出したので、「ああ、そうか、新自由主義なんだ」とハタと気づいて、おおいに納得した次第。やはり本は読むもんです。
「ネットトイレ」論





-11月9日-
 トイレの個室には良心を弛緩させる魔力のようなものがあって、「〇〇の母ちゃんでべそ」とか「スケベエ教師ヤメロ」とか、普段は言えない(言わない)ことが壁に大書されていたものです。いわゆる「便所の落書き」ですが、その機能を現代社会ではSNSが引き受けているようで、そこでは劣情があっけらかんと解放されて露骨な中傷などが飛び交ってます。逆に、「ネットで話題になった」と「便所の落書き」程度の書き込みに喜色満面の手合いまで出る始末です。
甲州財閥






-11月7日-
 いろいろあって書き忘れていたのですが、先月山梨大学へ行ったとき、甲府駅前のバスターミナルで、山梨近代人物館で開催中の「甲州財閥-近代日本を駆け抜けた人々」のパンフを見ました。阪急電車や宝塚歌劇の創始者である小林一三をはじめ、東京の地下鉄を作った早川徳次、富士急行を作った堀内良平、東武鉄道を作った根津嘉一郎、東京の電力や市電を支配した若尾逸平など、日本の近代化の礎をなした人士がずらり。驚きました。土佐は政治(運動)家、甲斐は実業家。やはり「クニ柄」というものがあるんですね。
特別演習






-11月5日-
 大阪、奈良、京都、和歌山、徳島の各府県のいずれかについて、COSの趣旨を踏まえて「特色ある地域」を3つ選んでくるというのが宿題でした。ただし指示書に書いてある自分の担当府県名は他人に教えてはならぬというルールです。さて今日。たまたま同じ府県を担当することになった数名が初顔合わせ。各自の選んだ「3か所」が一致するなどということはありえませんから、そこで否応なく議論が始まります。メンバー同士話し合ってその府県の「3か所」の最終候補を決定します。この議論のプロセスが大切。結構楽しめた企画でした。
宴のあと





-11月4日-
 「遺言的論文」を書き終え、論文を書くという「めあて」を放擲してしまったからでしょうか、学会での喧々諤々の議論の応酬がまるで向こう岸の祭囃子のように思われてなりません。もちろん学問分野のすべてを極めたなどとうぬぼれるつもりなどなく、ありていに言えば、専門(業界)用語をまき散らして議論の渦に飛び入って小難しい理屈をひねくりまわすことにすっかり疲れてしまっただけのことです。学会特有のあの高揚感に浸っていた頃が懐かしく思い出されます。
日本社会科教育学会





-11月3日-
 昨日はゼミを終えてから出発し、夕方、奈良入りしました。今回のヤドは公立学校共済。部屋広く夕食も満足。さて今日も快晴。9時前だというのに正倉院展は長蛇の列でした。それを尻目に奈良教育大へ。午前の前半は文明論の、後半は授業づくりの分科会に顔をだしました。お昼は近くの民芸風蕎麦屋。午後のシンポも総会も懇親会も今回はまじめに出席しました。会場校の岩本、全社会長の棚橋、三重大の山根の各氏など「熟年組」と歓談して20時帰館。
恩師から葉書






-11月1日-
 例の遺言的論文を先日「一気読み」して下さったそうで、「感動した、主旨すべてに賛成」とうれしいエール。小欄は伊東亮三先生のことを勝手に「恩師」と呼び「二番弟子」を自称しているのですが、じつは指導教官でもなんでもありません。単に学部時代よく世話になったというだけ。その伊東先生と言えば社会科教育学界のエライ人の退官記念論文集の巻頭に「社会科の挽歌(注:葬式のときに唄う歌)が聞こえる」というトンデモ論文を寄稿して大騒ぎを起こした張本人。そういうDNAだけはしっかり「二番弟子」は引き継いでいるようです。