■ 教育直語 過去の研究室日誌へのリンクは最下段に
悩ましい‥はずですが






−4月29日−
 ずっと以前のことですが、警報と休講との関係を話し合っていたとき、「じゃあ空襲警報はどうなるんだ」と口走ってヒンシュクを買ったことがありますが、昨今、朝鮮半島情勢が緊迫化していて、核シェルターの値段とか地下街が安全だとかいう話が急に世間に出回るようになりました。幸か不幸か日本もほかの先進国なみになってきました。そこで問題なのが社会科の教科書や授業。そこに描かれたある種の理想論と現実とのかい離が急速に拡大しています。さりとて小学生に事実を教えればいいというわけでもなし。悩ましいですね。
懐かしい人々





−4月27日−
 昨日は教育学部の歓迎会。これで学部教員22名が全員揃ったことになります。今日は出張で私学対象の個人情報保護関係の研修会に参加。畑違いの法律論でしたが結構面白かったです。終了後近くにあるT社の関西支社へ。在京の役員の方と偶然に久方ぶりの再会。そのあと新大阪で四国担当のお二人と歓談。往時の土佐研の先生方の懐かしい名前が飛びかいました。と感慨に浸っていたら夜、鳴教大の山下学長から電話。何か集まりがあるそうで。
初夏へ





−4月25日−
 好きな花はリンゴ、アンズ、モモと決めていた(注:食い気とは関係なし)のですが、今年からこれにハナミズキが加わりました。大学周辺にたくさんあって、そのくすんだ紅色がなんとものどかです。今日は大教大へ。3回目は資源と環境の教育。教室をA棟に変更したので、来週からは1本遅い電車でも滑り込めそう。昼食は「かつおのタタキ定食」。こういうメニューがあるのは助かります。今年はカツオがすこぶる不漁とか。初夏の味にも心配がつきまといます。
ネット地図






−4月23日−
 ‥は重宝しているのですが、以前書いたように等高線が入っていないので、実際に行ってみると「ギョッ」ということがあります(例:津駅→三重県庁)。今日経験したのはお店検索の「穴」。スーパーマーケットの分布を調べていたのですが、実際に行ってみると地図にはない大きなお店(CO-OP)があり、「なんだあるじゃない」‥。ネット地図の情報は制作者側の恣意的な選別によるものですから、それだけに頼って「自分の目や足」をおろそかにすると、知らない間に誰かに操られてしまうのです。ネットに頼ることの陥穽を改めて感じました。
2年目






4月21日−
 学校という職場は営業職でいうところの「お客様」に相当する子供(学生)との出会いと別れが繰り返される職場で、それが教師にとっては年に一度のインパクトとなって励みのいい機会となります。一方学校という職場では仕事のかなりの部分がある意味繰り返しでもあります。大学でもオリエンテーション、ゼミ分け、年間計画の発表、分掌の発表などの定例行事が続きます。昨年度は何もわからない状態で私学に再就職して、それこそ右往左往だったのですが、今年はびっくりするほど気楽。昨年度の経験を上書きすればいいからです。
2回目





−4月19日−
 昨朝、阪神の線路の枕木の上に砂利が散らばっていました。夜半の嵐で飛び散ったものと思われます。激しい風雨でした。しかし出かけるころには晴れ。大教大での2回目の授業もつつがなく終了。今日も晴れ。例によって朝モス経由で大学へ。歩くと汗ばむ陽気になってきました。「社会(小)」の2回目は「AKB選抜総選挙と衆議院選挙の決定的な違いは何か」。ふざけたようなタイトルですがこれこそ社会科教育本質論に直結する視点。小欄自賛の授業です。
〜続ける教師






−4月17日−
 某短大の助教をしているというMさんからメールがきました。読むと、鳴教の大学院で小欄の講義を受けていた「プーさん」です。当時は意見表明用のハンドルネームを使っていたのです。「勉強しない教師が子供に勉強せよと言えるのか」という小欄の物言いをずいぶん気に入ってくれたらしく、それを実践するべく今春から博士課程に進んで隔週の遠距離通学に挑戦しているそうです。教え子からのこういう便りは本当にうれしいものです。「勉強しない教師が‥」、う〜ん、小欄は「学び続ける教師」ならぬ「もがき続ける教師」ですね(笑)。
キョウイクチョクゴ(続)





−4月15日−
 もう一つ気がかりなのは、「戦後」の失効手続きを理由にした反対論です。でもこれは非常に危険な論理のように思われます。なぜなら「失効」は対日占領政策の一環としてアメリカの国益に沿って指示されたものですから、それを「神聖ニシテ犯スベカラザル」前提としてしまうと「天皇陛下万歳」が「アメリカ万歳」に変わっただけということになってしまうからです。大切なのは、礼賛でも封殺でもなく、勅語を歴史的遺産として相対化しつつ、自身の今を鏡に勅語を、勅語を鏡に自身の今を語りなおし語りあうというアクティブな学習でしょう。
キョウイクチョクゴ






−4月14日−
 政府が答弁で勅語の教材性について言及したので、さまざまな反応が‥。たしかに勅だの朕だのと言われると、この時代にはいかにも不似合いですが、建国や国民統合の理念を語るという趣旨そのものは通時的にも共時的にも、それほど極端な内容とも思えません。「緩急アレハ義勇公に奉シ」も同様の義務を憲法に明記している国は珍しくありませんし、スペイン憲法など「祖国防衛は国民の権利だ」とまで書いているのですが、さりとてかの国が危険な侵略国家だとは誰も思わないでしょう。広い視野からの冷静な議論が待たれます。
「社会(小)」スタート





−4月12日−
 今学期は水曜の1時間目に授業が入っています。バナナとリンゴとジュースのみで7時すぎ出発。河内国分駅前で朝モスをすませ大学着が8時40分。これなら暑くなって徒歩所要時間が少々延びてもタクシーを使わずに滑り込めそうです。さて「社会(小)」の1回目。今回は座席指定にしたので、かなりやりやすくなりました。個人名で学生を指名できるのは教育上のメリットもあります。オリエンテーションのあと残った時間で「豚のPちゃん」を視聴しました。
大教大、最初の授業






−4月11日−
 初日はいきなり大教大です。強風に雨。阪神は6分遅れでしたが機転を利かせて予定通り大阪教育大前駅に到着。しかし改札を抜けエスカレータにたどりつくまでが大変。縁日の清荒神の参道のような混雑。急行が20分ヘッドだし新学期で雨ということもあったのでしょうがびっくりしました。2時間目の授業はつつがなく終了。受講生10名。昼は峯先生と教員用?の隠れ家食堂でランチ。13時のバスで下山し小降りの雨の中を大学へ。明日の授業の最終準備(性懲りもなく土壇場でまたパワポ修正)をして帰宅。やはり初日は疲れました。
小さな村の物語






−4月9日−
 BS4で土曜日に放送している番組です。イタリア各地の村々が舞台となっているのですが、この番組にはグルメも絶景も温泉も出てきません。出てくるのはたいていが年金暮らしの老夫婦の家庭。ごはんづくり、畑仕事、町での買い物、犬や猫の世話など、あまりにもありふれた日常が淡々と綴られているだけの地味すぎる番組です。でもそこから伝わってくる人生のなんという豊かさ。カフェの前に椅子を並べて男たちが煙草をくゆらせながら日がなカードゲームに興じている光景をみると、幸せってなんだろうかと考えさせられますね。
大教大の猫






−4月7日−
 月曜日に4丁目の教育大へ行ったとき、2匹の猫に会いました。1匹はエスカレータ−の頂上部、つまりバス利用者以外の全員が必ず通るまさにキャンパスのゲートポイントにドテッと寝ている黒猫で、相当に自己顕示欲の強い性格だと思われます。もう1匹はそこから10メートルほど階段を下ったところにいる白っぽい小型の猫で、声をかけてくれたので気づきました。見るとそばに小皿が2つおいてあったので、きちんと食事を用意してもらっているようです。あれだけの広いキャンパスですからほかにも猫は見つかりそうです。楽しみ。
始まり始まり






−4月5日−
 今週前半は各種のオリエンテーションや教員の研修が目白押しで、活気に満ちたというか、次から次へというか、とにかく「充実した」毎日でした。新入生とも初顔合わせ。人数はほぼ前年度なみです。自己紹介は「やったら23分かかるので」という理由でこのホームページを紹介するのみにしました。合間をみて来週から使用する教室で機器チェック。用意したDVD-RAMが使えなくて慌てましたが、保存しておいたVHSで代用できることがわかりホッとしました。パワポとともにプリント類も完成しあとは印刷のみ。さあいよいよ始まりです。







−4月3日−
 昨日は上天気だったので、桜探索をかねてこれまで行っていなかった自宅北西方向の町探検に出かけました。桜はまだまだでしたが並木道は結構な人出で、花見の宴もはじまっていました。さて今日から実質的に新年度。まず大教大へ「出勤」。教務の方にお付き合いいただいて来週からの授業で使う教室や機器接続のチェックをしました。その後、原川ぞいの桜並木を愛でながら大学へ。こちらの桜は7分咲きのものも見られました。昼休み、新入生と保護者が三々五々キャンパスを歩いています。やはり新学期はいいものです。
新年度





−4月1日−
 新年度です。と言っても今日は土曜日。ちょっと得した感じです。5人の新任の先生が着任しようやく教育学部の陣容が揃いました。幼児教育の担当として兵教から来られた橋川先生はもと鳴教の同僚。「やあ、またお会いしましたね」と懐かしくご挨拶しました。委員の割り振りですが、小欄は高校に出向いて広報に努める渉外係の担当です。教務や学生、教採などの大変な仕事は若い先生方に引き受けていただくわけで、いささかの申し訳なさもあります。