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順序ってものが





−2月28日−
 その町ではそれなりに知られた料理屋で会席料理をいただいたのですが、仰天。最初に寿司が並べられて焼き物のあとに刺身が出て最後が魚の煮つけ。西洋料理に例えればデザートのあとに前菜とメインが出るような奇観。聞けば、その店ではよくあることとのこと。物事には順序というものがあります。授業でも論文でもそれは同じ。ある資料を冒頭に出すか途中で出すか、そのあたりのさじ加減ができるかどうかがベテランと新米との大きな違いです。
偶然、必然





−2月26日−
 早朝に訃報が届きました。今日は死去した本人の亡妻の一周忌の法要の日で、死去した本人の葬儀が行われる明後日はその亡妻の命日です。こういう偶然話は聞いたことはあるのですが、実際に遭遇してみると因縁めいた思いにかられざるをえません。同じ今日の午前、知人に男の子誕生という知らせも入りました。結構高齢出産だったのですが、お元気とのこと。こうして世代がめぐっていくのだなあと感じ入りながら、葬儀のお手伝いをはじめました。
エンリケ症候群





−2月24日−
 午前は久しぶりに大阪教育大学図書館で一仕事。書架を眺めていると「よくもまあこんな本を恥ずかしげもなく出版したものだ」という印象と「(内容はよくわからないのですが)すごい研究ですね、お疲れ様」という印象が交錯します。両極端ですがいずれにせよ息苦しくなるので、あまり長居はできません。教育学部の教員なのに教育研究書を読んで息苦しくなるというのは問題です。船長が船酔いするようなものですよ(笑)。エンリケ航海王じゃあるまいし‥。
A・Lはるかなり






−2月23日−
 要するに「都合のいいように勝手に解釈されるのは懲り懲り」ということなんでしょう、一世を風靡した「アクティブ・ラーニング」なる文言は指導要領には記載されないことになりました。もちろん考え方はそのままなのですが。驚いたのは、この文言がなくなってショックだなどと言っている現場があること。人目を惹きやすい看板がなくなったので大慌て? 中身よりも耳触りのよい新しいキャッチコピーに一喜一憂する‥。「生活科」や「総合的な学習の時間」が登場したときもそうでした。教育界の言霊主義もいい加減にしてほしいものです。
変えてくれますねA





−2月21日−
 各教科の「目標」はこれまで3行程度の分量で、頑張れば暗唱できたのですが、今回は、趣旨を書いた2〜3行のあとに具体的な指示がついたので、こうなるととても暗唱は無理です。それはともかく、「社会科の目標をとにかく書いてみる」という作業で始まる授業の第1回目の展開を再考しなければならないことになりました。5年も10年もこの仕事を続けるのならともかく、あと3年しかない立場からしてみると、いまさら変えられたら大迷惑なんですよ(笑)。
変えてくれますね@





−2月19日−
 新しい指導要領案(が公表されました。内容や順序に大きな変更はありませんが表現がずいぶん変わりました。何を教えるかという観点よりもどう考えさせるかという方法的な観点が強調されています。「何がたりない、何が入った」という社会科特有の内容に対する次元の低い注文はまず出ないでしょうが、ただ、あまりにも形式が見事に整えられているので「表参道のブティック」のような印象があります。さてこれが現場の授業にどう反映されるのでしょうか。
春うらら






−2月17日−
 今日も春のようなうららかな陽気です。8時過ぎには附小に到着。新記録かも。2時間目の佐藤先生の授業は公共図書館のあるべきコンセプトをめぐっての議論です。ひと昔前ならこういう授業をすると「それでどんな知識が身に付いたのですか」などという的外れな発言が事後研で出たのですが、昨今はこういうタイプの授業にもかなり理解が深まってきたようです。閑話休題。「『提案する社会科』は今やバイブルですね」と言った事情通がいたと聞きました。もちろん小欄は言下に否定しました。「バイブルではありません。コーランです」。
お茶小研究会





−2月16日−
 2月とは思えないうららかなお天気です。会場では岐阜大附属小で先日研究授業を担当した浅野先生と校長先生、茂松先生(高知県教委)、金野先生(鳴門教育大)、小玉先生(東京大)、南波先生(鶴岡市・中学校)、石井先生(玉川大)らにお会いすることができました。講演はあまり関心のないテーマだったので早めに引き上げ原稿の整理。結構アタマを使う仕事なのですが、ホテルの一室でのこの作業、じつは小欄にとっては至福の?ひとときなんです。
東京






−2月15日−
 平日の昼過ぎの便(B6-300)なのにほぼ満席なのでびっくりしました。今回の宿は「メッツ田端」。ここは東書の指定ホテルになっていて、教科書編集で上京するたびに利用していました。レストランが新しくなったらしいので、懐かしさもあってここに決めました。東京というのはやたら人が多くでロクでもないところなのですが、それでも半年に一度ぐらいはその喧噪に浸りたくなります。有象無象の引力があるのでしょうか。昼食が伊丹のラウンジの422円のサンドと当然無料の飲み物だけだったので、夕食には珍しくデザートをつけました。
繰り言ですが






−2月13日−
 昨今、アクティブラーニングなる掛け声に刺激されてのことなのかわかりませんが、社会科で「価値判断・意思決定」を標榜する授業をよく見かけるようになりました。もちろんこれは古くからの課題なのですが、不思議というか残念なのは、授業のレベルが数十年前と変わらないケースが少なくないのです。ときには「昔の方がよかった」なんて悲喜劇も。以前にも『教育PRO』に書いたのですが、この要因の一つは、事後の研究協議がまともに機能していないことにあるようです。「空回り」「繰り返し」の悪弊から早く抜け出してほしいものです。
附属平野小研究会





−2月11日−
 当日受付で所属・氏名を書いて提出すると、どこからともなく副校長先生(初対面)が現れ、来賓受付に連行(笑)されました。人相書が出回っていたのではなくどうやら峯明秀校長のご厚意のゆえらしく、おかげで参加費と弁当代を支出せずにすみました。深謝。会場では、岡崎先生(富山大)、鈴木先生(香川大)、山本先生(大阪樟蔭女子大)、坂井先生(西南学院)の面々にお会いすることができました。午後、校長室でおしゃべりして会場をあとにしました。
タイムスリップ






−2月9日−
 大阪府下某市某小学校の体育系の某部活の年度末のパーティ。その実態を聞いてびっくりです。卒業生の壮行とお世話になった技術指導の地域ボランティアへの慰労が名目になっているのですが、会場の同校体育館には部員の保護者が招集され、持ち込みの料理などが並び保護者が酒をついで回り、あちこちで煙草をスパスパ。驚くべきは主役の子供たちも同席(さすがに教師はゼロ)。あげくに体育館の床を傷つけて解散。まあこんな風景は半世紀近く前ならありえたことでしょうけど。あきれますね。注:柏原市ではありません。
シラバスの季節(続)





−2月7日−
 シラバスなるくわだての本家本元のアメリカでは「あまり細かいことはやめよう」という動きがすでに出始めているという報道を以前読んだことがあります。さもありなんと思います。ところで本務校のシラバスは、課程認定で昨年認可されたものですので完成年度までの4年間は変えてはならぬということになっています。その趣旨は十分理解できるのですが、指導要領が変わっても変更まかりならぬというのは教科教育にとってはまことにどうも‥。でも楽は楽です。
シラバスの季節





−2月5日−
 今回は本務校のほかに国立大学3校のシラバスを用意しなければならないのですが、その形式については各大学それぞれに多様な注文があります。ただ共通するのは年ごとに加速度的にその注文が細かくなってきていることで、あたかも「改革」への熱意のアピール合戦のような様相を呈してきています。危惧するのは、細かさ(親切さ?)にも臨界点のようなものがあって、ある一線を超えると、真面目に書く意欲が急速に萎えてくる恐れがあることです。
予想外の‥A






−2月3日−
 「予想外の」と言えば‥。オシャレに関心の高い人が比較的多い町から、そうではない人が比較的多い町に引っ越した女性と、その町には珍しいオシャレな場所で食事をしたとき、「久しぶりにオシャレをする機会をもてた」とその女性から予想外の「ありがたがられ方」をしました。なるほどそういう受け止め方もあるのか‥と。「朱に交われば〜」という言葉どおり、人はつい周りの環境に流されてしばしば自分を見失います。難しく書けば再帰的異(自)文化認識ということになるのでしょうか。人生には、やはりいろんな出会いが必要ですね。
予想外の‥






−2月1日−
 前項の新しいパワポの一部を在京の実践研究者に見てもらったところ、「最近の学生さんにはこういう風にビジュアルにしないといけないんですね」という予想外のレスポンスが返ってきました。小欄としては前項で触れたように、これまでいちいち書いていたことやいちいち書かなかったことをキャラクターに語らせるなどして、より簡略化しつつより効果的な授業展開を可能にすることをめざしていたのですが、なるほど、そう言えば確かにそういう効果はあるなと気づかされました。予想外のレスポンスに新たな視点を教えてもらえました。