トップ 
                          
 授業概要 
                          
 修士論文一覧 
                          
 自己紹介 
  ■ 研究室日誌 過去の日誌へのリンクは最下段に
中期試験




           11月30日
 昨朝拙宅でトラブル(故障)があったのですが、6時間ほどでトントンと問題が解決されてホッとしました。ただそのあおりで3時間目の「現代総合学習論」には大幅に遅れてしまう結果となったのですが、谷村先生がピンチヒッターで指導をしてくださいました。このあたりが「総合」らしいチームワークです。今日は大学院中期入試。快晴です。「総合」は相変わらずの人気。試験業務は午後からのみなので、すこしのんびりできました。
ミッションの再定義





           11月29日

 大学を飲み込む巨大な波が押し寄せています。波の中身はともかくとして、議論の余地がまったくない、つまり議論を封じられているという超閉塞状況と、これが失敗してもツケだけ残って企画した張本人の責任はたぶん問われないであろうという非対称状況は、生理的に耐えがたいものがあります。辛坊治郎さんが海難事故で自衛隊に助けられたとき、「この国に生まれてよかった」と名文句を吐きましたが、現在の小欄の心境は、正直に書けば、「昭和25年に生まれてよかった」です。 

防災訓練





           11月26日
 本学の防災訓練と小コース「教育実践フィールド研究」(防災教育)とのコラボ企画です。それゆえ、緻密に計画を立て関係機関と綿密に打ち合わせ滞りなく訓練を遂行し完璧な報告書を作りたいという事務サイドの価値観と、学生の主体的な企画を尊重し失敗や遠回りも大切な学習だとする教員側の価値観とのはざまで、主担当の谷村先生はずいぶんと苦労されたようです。しかし今日は好天に恵まれ、近くの小中学生や県の防災ヘリ、地域住民も巻き込んでの一大イベントは無事終了しました。
中期試験を前に




           11月25日
 台風並みの嵐のなかを出勤。まず入試課で中期試験(今週土曜日)受験者の研究希望調書を受領しました。相変わらず長期履修学生の割合が高いのですが、彼らが入学してきても修了する年度にはすでに小欄は退職してしまっていないことになります。淋しいというよりはホッとしたという感じの方が強いというのが正直なところ。今日、BCのUKBKOJをOW4800円でゲットしました。のんびりと温泉旅行をとたくらんでいます。
情報化社会





           11月23日
 先日、朝早くに遠出する用事があって、この辺りではちょっと名の知れたマザーズで朝食をと思いネットで営業時間を調べたら7時半からとなっていました。ところが実際に行ってみたら8時から。その日はモスに移動して事なきを得ましたが、マザーズ自身のサイトではなかったので文句も言えず。情報が氾濫している昨今ですが、古い情報が放置されかえって人を惑わせます。本学HPのコース案内にも退職者がまだ堂々と名を連ねている事例があります。最後はやっぱり直接確認しかないか?
怪しい数字たち






           11月21日
 COP19で温室効果ガス削減率が低いと日本が非難されていて、NHKは識者に「恥ずかしい」などと言わせていましたが、GDPあたりの排出量という「量」を考慮せず比率だけを論じるのは高校生でもわかるインチキ。すでにかなり努力していて削減余地の少ない真面目日本と、まだ垂れ流し状態の諸国を比べても意味はありません。しかしそれでも非難するというのは国際会議ではよくある権謀術策の一つ。「恥ずかしい」のは日本ではなく識者の認識の甘さでしょう。食料自給率40%とか財政赤字1000兆円とか、怪しい数字たちが学校の教室にも流れこんでいます。
板書型まとめ





           11月19日
 今日の「現代の諸課題〜」は、前時(植田先生の台湾親日言説についての特別講演)の復習ということで、提出された「板書型まとめ」のうち数人分をみんなに紹介しました。これはA4用紙を横にして板書のようなイメージで講演の要点をまとめてみようという課題で、ユニークな割り付けがあったりして、楽しく採点できました。感想文を読むよりも受講生の理解度がよくわかりますし、とにかく採点のスピードが格段にアップ! これからもこの「板書型まとめ」課題は多用しようと思っています。
ズレ






           11月17日
 授業実践研究の世界にはキャッチフレーズというかキーワードのようなかたちで、その時その時の研究の方向が示されます。おおむね発信地は文科省もしくはその周辺です。リテラシー、ポートフォリオ評価、パフォーマンス評価、言語能力、知識の構造、ディベート、価値判断、シティズンシップなど。これらの真意や背景がきちんと理解されて研究の対象になればいいのですが、忙しい学校現場は往々にして形だけ整えて了とするきらいがあります。ディベートというので見学してみると単なる話し合いだったりします。意図を本当に根付かせるのはずいぶん難しいようです。
統一大会





           11月15日
 難航していた頼まれ原稿(20日締切)が昨日なんとか形になったので、ほっとして今日は徳島県小学校統一大会。金野先生と一緒に板野南小で開催された社会科の大会に出席してきました。3年生の公開授業と会場校の全体研究発表を小ゼミ修了生の河野先生が担当しました。午前は4年生の授業を参観。事後研では、席があいてなかったので、一番前の席で腕組みしていました。お見合いよろしく向い合せになった助言者(1人はもと附属、1人は小ゼミ修了生)が非常にやりにくそうでした。
八つ当たりですが





           11月14日

 市長と市議会議員のダブル選挙が始まりました。市会は25人が22議席を争う少数激戦だと新聞にありました。市の発展を願って立候補した方々には申し訳ないのですが、傍目にはどうみても選挙というより祭。選挙カーならぬ「連呼カー」が市内を駆け巡っていて、とくに市内随一の交通の要所に位置する拙宅では、「必死のお願い」が交錯しておちおち本も読めません。これもすべて小学校の先生が教科目標をきちんと踏まえた社会科授業をしなかったせいだと、八つ当たりしたくなります(笑)。

ありがたいことです




           11月12日
 前任校の教え子から3か月ほど前に突然電話がありました。平成3年に一緒にヒブラルタールを渡ってサハラの古都マラケシュまで出かけた旅仲間の一人なのですぐに思い出しました。結婚して卒業後も高知に残って国際交流関係の仕事をしているとのこと。「講演をお願いしたい」との用件は日程がうまくあわず目下調整中ですが、それはともかく、22年もご無沙汰だったのに、ちゃんと覚えてくれていて感激です。
省察?




           11月10日

 今週は金曜日と今日、業種は違うのですが2人の営業の方と話し合う機会がありました。金曜日の女性は「立て板に玉」(←「水」よりも速い)の説明で、こちらも負けずに突っ込みを入れたのですが、マイペースでしゃべりきっていました。日曜日の男性は無駄話も入れながら着実に本題に迫るタイプ。やはり金曜日の女性の話は信頼性に欠ける印象がありました。そういえば、小欄の授業は少なからず「立て板に玉」。反省。

キャンパス猫情報・秋




            11月8日

 近頃話題になっているのが藤棚にいる三毛の少年猫。近所の小学生がシャルルと呼んでいます。なぜシャルル? 最古参の茶太郎が2か月ほど前に久しぶりに中央ゲートに陣取って愛嬌を振りまいていましたが、いかにも「いいパトロンを見つけた」という風貌で、それっきり姿を見せません。で、古参猫はシマジロウとツーちゃんになりました。黒軍団の子猫も生まれましたが、不思議なことに、総数はほぼ変わりません。

それにしてもねえ…





            11月6日
 昨日の「諸課題〜」はほぼ80分しゃべりっぱなし。終わってからヘロヘロ。教え込みは疲れます。ところで先週のこの時間、「昭和20年夏に終わった(とされている)戦争って何戦争」と聞いたところ、女子学生答えられず。公式名称としての「大東亜戦争」、アメリカによる後付呼称の「太平洋戦争」、さらに日本の学者が再後付した「アジア太平洋戦争」と、3つとも答えてくれとは期待していませんでしたが…。いきなりマイクを突き付けられて動転したという「情状酌量」の余地もないではないですが…。
伊東先生





            11月4日

 昨日の朝刊に文化勲章受章者が掲載されていて、普段は見もしないのに何かのはずみでしょうか、恩師伊東亮三先生の名を発見しました。早速広島のご自宅に電話しました。指導教官ではなかったのですが、学部4年生のときに附属明石中学校で小欄が行った評価授業を見ていただいて「附属の教官の授業よりも面白い」などと大げさに褒めていただいたのが、きっかけと言えばきっかけとなって、今の立場があります。相変わらずの口調でお元気そうでしたので、一安心しました。

中庸




            11月2日
 今週のホットニュース。ホテルのメニュー偽装に偽スタバ(タイ)に偽コピルアク(インドネシア)。内外ともにあちこちでタガが緩んでいるとみえます。一方、国会議員某が原発被害者の窮状を秋の園遊会で訴えるというとんでもない出来事も。片や正義を忘れた自己中心的な妄動、片やあたりかまわず自己の信念をぶちまけるという蛸壺の正義。「中庸」という言葉が現代社会ではどんどん後景に退いていっているような気がします。