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 修士論文一覧 
                          
 自己紹介 
  ■ 研究室日誌 過去の日誌へのリンクは最下段に
仕事納め




           12月28日
 法人化で公務員ではなくなったので「御用(公務)納め」とは言えなくなり「仕事納め」になりました。官と民は違うのです!(笑)。いつものことですが,年末は研究室の掃除もままならず,シラバスの検討やらガイドブックのデザインやらでついに28日です。どちらも鬱陶しいと言えばその通りなのですが,半分は楽しんでやっているという側面もあります。相変わらずの年の瀬です。みなさまよいお年を。年始は4日頃再開します。
社会全体で育てる





           12月26日
 制度の是非はともかく,例の「子ども手当」の前提となるこの「思想」には一理あります。あやかって「先生育ても社会全体で」と思います。教員養成を大学だけが独占するというのはどうみても厚かましい話。4年間なら半年,6年間なら1年ぐらいは企業研修,農業体験,国内外でのボランティアなどで多様な感動や挫折の機会を提供したいものです。大学側が用意する(できる)カリキュラムだけでは,たとえば無茶な保護者相手に堂々と立ち回れるような「人間力の育成」なんて,できっこないんですから。
鳴門にもどる




           12月24日
 朝起きると外は結構はげしい雨。予報よりも早く来た感じです。タクシーも覚悟していたところ,出発間際には止んで青空も。この地方らしい移り気な空です。ともかく大助かり。空港で教務に来年度の「生活A」担当者変更指示の電話をして09:15のNUで神戸へ。ゆいレールには冷房が入っていたのにポートライナーには暖房が入っています。曇天下のポートアイランドはAMS郊外の雰囲気でした。14:40高速鳴門帰着。
巡検




           12月23日
 今日は琉球大学法文学部の町田先生が主催する巡検に特別参加させていただき,来年度の演習の予行を行いました。大学生7人(うち中国人が3人,台湾人が2人)とともにワゴン車で本島南部を回りました。最近は巡検をする機会があまりなかったので,大学院時代を懐かしく思い出す一日でした。すさまじい好天で帽子を忘れたのが悔やまれました。来年の再会を約して町田先生と首里駅で別れホテルにもどりました。
沖縄へ





           12月22日
 無理に用務を詰め込まずに昼前の伊丹発にしておけばよかったと後悔しながら6:30,タクシーで出発。9:30神戸空港発のNUで那覇に向かいました。珍しく東海岸ぞいに南下するルートで定刻に那覇着。暑い! 午後はまず沖縄県教育委員会へ。来月の村川教授講演会の打ち合わせをしたあと「総合」の副読本を入手しました。そのあと県立博物館へまわり,来年度の大学院演習の下見をしました。少し早めに用務が終わったので,ホテル周辺を歩き,アジアのにおいを堪能しました。
集中講義終わる




           12月21日
 今日は,シラバスの原案づくりやガイドブック目次ページの修正などで半日が終わりました。昼休みに「かかし」へ行くと,集中講義の受講生が岡部先生を囲んでの昼食会が催されていたところでした。小欄にはこのような経験はなく,岡部先生の講義がいかに魅力的なのかが推し量られました。明日からの出張の準備があったので,岡部先生のお見送りを太田先生にお任せして,早めに帰宅しました。
集中講義始まる





           12月18日
 午前,育休中の谷村先生の代わりに「現代の子どもと学校教育」を集中で講義してくださる岡部先生(京都教育大)を高速バス停にお迎えしました。お昼は太田先生もお誘いして「かかし」で昼食。集中第1日目は5時すぎに終了。歓迎会ということで一同「上海楼」へ。短時間でしたが谷村先生も顔を出して下さいました。サプライズは生後6か月目のお嬢さんも飛び入り参加となったこと。大いに盛り上がりました。8時半お開き。太田先生は大学にもどりお仕事。明日は朝一番で東京出張とか。
世にも不思議な





           12月16日
 土曜日に勤務するとそれに先立つ月曜〜金曜に,日曜に勤務するとそのあとの月曜〜金曜に振り替えの休日をとるべしという不思議なルールについては,以前書いたことがあります。来週23日に出張なのですが,「祝日勤務につき事後の8週間以内に代休をとるべし」との通知が,今日来ました。ン? 大学院口述試験の際受験生と面接官の間を90センチ以上開けろというのも不思議なルール。もちろんだれも気にもしていませんが…。世の中コマゴマと決めてかかると漫画チックになりますね。
宴会第1弾





           12月14日
 ネット経由ではだめだ(ということに急になったのだ)そうで,空港まで航空券の領収書をもらいに行ってから出勤。事務の人も本意ではないでしょうが,こういう世界に身を置く情けなさが身にしみます。さて今週は宴会が3回も。高知在勤時には珍しくも何ともなかったのですが,ここ鳴門では,そしてこの年齢では最近なかったことです。今日はまず第1弾。ゼミM2の修論完成祝いとM1と小欄の誕生祝いです。自動車通学でいつもは飲めないM2にも配慮して,久しぶりに徳島駅前で鍋を囲みました。
ネコ回転





           12月12日
 ちょっとした段差でつまづいて前のめりになりました。咄嗟に1回転して,手のひらをすりむく程度で事なきを得ました。はた目には受け身みたいでカッコよかったそうです。こういう場合,最近の子どもは顔から落ちて大けがをするそうです。1回転して重力を逃すという本能が欠落しているのでしょう。小欄などは小学生のころ「ターザンごっこ」でさんざん木から落ちたり石垣の中途で立ち往生してきましたから,アラカンの今でも本能が温存されていたと思われます。こういうのも生きる力なのでしょう。 
年末





           12月11日
 今日午前は年末恒例のウイルスバスター更新を行いました。インストール等に1台15分,2台で30分かかってしまいました。ほかに,『大学院ガイドブック』2011の表紙写真準備をしました。12時すぎ,社会系修了生の植田先生(徳島市中学校)が来てくれたので,一緒に「かかし」で昼食。5時間目は彼の特別授業「台湾からの報告」です。例によって,目から鱗の事実ばかり。この特別授業で,本年の授業はゼミを除いて終了。机上のネコカレンダーも新しくなりました。年の瀬間近です。
理想はゆっくり語ろう






            12月9日
 前任校で学務委員をしていた時に教免法の改定があり,同僚のB氏と二人で学部カリキュラムの全面改定をしました。現行のそれに近い時代を先取りしたものだったのですが,小欄の転出後まもなく,ほぼ旧に復したそうです。「先生達が理想的なものを作るから」という声を後に聞きました。今にして思えば「若気の至り」です。本学でも,2年前に作られた,ある意味「画期的な」授業が,やはりギクシャクの連続で,ついに昨日の委員会で大幅見直しの憂き目に。かつての我が身を思い出しました。革命的な振る舞いは早晩反動にあうというのは歴史も教えるところですね。
灯台もと暗し





            12月7日
 附属幼稚園から『研究紀要』が届き,その内容にびっくりしました。附属学校の紀要というと,わけのわからない概念用語,業界用語が華々しく並び,まるで判じ物のような構造図がついているものというゆがんだイメージを持ってしまっているのですが,附属幼稚園の紀要は,まさに紀要らしく,基本的な考え方,記録,考察が気負いもなく筋道立ててきちんと書き込まれていて,非常な好感を持ちました。附属幼稚園には全国各地から視察がたえないというのも,なるほどなと思いました。
大学院後期試験




            12月5日
 昨日5時間目は「総合演習」。ぶるる大作戦第2ラウンドの最終日で,ようやく88カ所のルーティングが決定。県境越えルートに手間取っていましたが,学生は結構楽しんでくれていました。今日は気象情報に反して晴れ。8時に集合です。筆記試験待機中はすることがないので,修論の原稿を読みました。今年は有り難いことにもうほとんどできあがっています。午後1時半から口述試験。第2希望も含めて11人面接しました。
「職歴詐称」





            12月3日
 教員養成系の大学教員人事の際,「教職経験を有する者」という条件がつくことが多くなりました。基本的には結構なのですが,ひたすら「研究」に打ち込んでいる博士課程の院生にとっては死活問題。そこで,私学の時間講師なんぞをちょろっと引き受けて「教職経験だ」と言い張る手合いが出てきたそうです。不純な動機で勤務しているわけですから,ろくな指導はできません。就活のための履歴粉飾に巻き込まれた生徒たちこそ不運です。こういう手合いには絶対に教育を語ってほしくありません。
村祭り




            12月2日
 地元で選挙があり,せっかくの代休なのですがウルサイ。ほとんどが連呼だけですからとても選挙運動などと言えた代物ではなく,まあ村祭りみたいなもの。この村祭り現象は,「予定通りに丸くおさまる研究授業」から昨今の大学村のアレコレ,さらに永田町のドタバタから国連までに通底しています。それを駆逐しようと望むのは「アフガンにちゃんとした国家を作る」(ゲーツ国防長官)のと同じぐらいむなしい作業のような気がします。