ホームページ更新再開(2月27日)
 附属中学校は原則として月曜日1時間目にLFタイムというのを設けていて,各界(実際にはほとんどが大学教員)の人のいろんなお話を伺うことになっています。今日そのLFに呼ばれて行ってきました。よりによって薄ら寒い朝です。完全装備で体育館に乗り込み,「イスラエルふしぎ発見」と題して,彼の地のあれこれをクイズ仕立てで紹介しました。こんな話なら朝飯前です。10時20分大学着。藤村先生のご協力でHPやメールがやっと元通りに復旧しました。やれやれです。

 前期試験(2月25日)
 名古屋往復の疲れを癒やすヒマもなく早朝出勤。小論文の試験の監督を行いましたが,日頃,現職のオジサン,オバサンを見慣れているせいか,受験生とくに女子は,あと2か月で花の女子大生?と思いたくなるぐらい幼く見えました。しかし彼ら彼女らも教育実習を終え4年たつと,ちょっぴり「それらしく」なるから不思議なものです。大学院入試より難しそうな試験問題をながめて120分の監督終了。13時から学長室で協議のあと,月曜日の附属中学校での「お話」の準備をして帰宅しました。

 豊田市へ(2月24日)
 8時にホテルを出て名鉄で豊田市の東保見小学校に向いました。ここはブラジル人子弟が多く通うことで全国的に有名な学校です。学校の中の掲示や学級通信などが2カ国語になっているのは当然ですが,周辺の町内の看板もポルトガル語つき。ブラジル人向け専門のスーパーがあってブラジル人が「いらっしゃいませ」。地域そのものが一種の異世界に思えてきます。校長先生から,そういう場所ならではの教育の実態について,すっごく興味あるお話をうかがって授業も見せていただいて,給食も食べさせていただいて,豊田・知立経由でセントレアにもどりました。

 原田先生に会う(2月23日)
 院生3人と太田先生とともに全日空機で徳島からセントレアに飛びました。かなりオシャレな空港でした。名古屋市立新明小学校で帰国子女教育のお話をうかがったあと,案外予定があいたので,一人で東海道線に乗って西小坂井まで行き,小坂井西小学校に原田先生(4年度修了)を訪ねました。四万川小学校の思い出を話すほどのゆとりもなく,『』児童教育』をお渡しして,近況をうかがい,校長先生にご挨拶をしただけの1時間ほどの訪問でしたが,あのユニークなひげ面を見ると懐かしさでいっぱいになりました。名古屋にもどって院生達と合流し,居酒屋で名物料理を味わいました。

 後7時まで(2月22日)
 朝,あわてて資料を作って10時40分から講座会議。来年度も主任を引き受けることになりました。あと就職委員という新手も。午後は教授会,研究科委員会。4月1日づけの多くの人事が紹介されました。以前のようにいちいち審議しなくなったので大助かりです。とはいえ,トータルで考えると法人化とやらは明らかにマイナス。16時20分からはじまった全学説明会ではその現実に改めて直面させられました。,個性尊重・裁量権の拡大など真っ赤なウソで,外堀も内堀も埋められて大学経営はがんじがらめになっているという現状が苦渋をこめて語られました。

■ 病み上がり(2月20日)
 前回(昨年8月)同様,お茶小からもどった翌日に熱をだしました。幸い週末だったので予定に大きな狂いは出ませんでした。今日は冷たい雨です。大学に出て早速メール復旧作業にかかりました。ちょうど菊池先生がおられたので,非常にわかりやすく対応して下さり,一応送受信が復活しました。これでホッと一息です。思い通りにいかないことの少なくない昨今でしたが,メール開通でちょっと気分が明るくなりました。あと,振り替え休日手続きとか講座会議の準備とかでほぼ1日が暮れました。

 「総合演習」最終日(2月17日)
 お昼のJLで徳島にもどりました。機材繰りで到着が50分ほど遅れたので,あとの日程がすっごくタイトになりました。今日が締め切りの入試関係の事務を片づけ,「総合演習」の成績を出し,M2から修士論文修正版を受け取り…している間に4時20分。あわてて会場に向かいました。今日は太田グループと谷村グループの発表。どちらも一ひねりした工夫が見られました。ただ,今年は総体的に,ショー的というかイベント的な色彩が強く,「些末なこと」(2月10日)かもしれませんが,やはり来年度は,もうちょっと中身で勝負できるように指導したいなと感じました。

 お茶の水(2月16日)
 昨夕は,赤坂プリンスホテルで,政界,財界,言論界,文化人のウルサ型ばかり700人近くを集めたド派手な宴会があり,久しぶりの邂逅や新たな出会い,それに豪勢な料理を存分に楽しみました。本日は小雨。お茶小の実践指導研究会です。見学するつもりだった1時間目の佐藤先生の授業がご本人病欠で中止だったのがいかにも残念でした。午後は5年分科会に出席して,夕刻にはその助言者の冨士原助教授の研究室にお邪魔し,5時半頃からは浅川先生も合流されたので,例のごとく談論風発の酒席となりました。

 一段落と一大事(2月14日)
 疲れがやっととれたらしく,寝入りばなをたたき起こされた時のようなフワフワした感じがなくなりました。昨日,今日とさまざまな雑用を片づけました。たまった書類の廃棄,課題研究の成績つけなどです。昨日,山形大学附属小学校から昨年暮れの講演の記録ビデオが届きましたので,夜,鑑賞しました。なんとか論文にまとめられないかと,あらためて構想を練り始めました。ようやく仕事も再始動と言いたいところではありますが,困ったことに学内のメールが不通になっています。機器更新にともなうトラブルらしいのですが,かなり重症のようです。学内連絡は徒歩か電話です。

 修士論文口述試験(2月11日)
 ホンネを言えば辛い土曜出勤でしたが,M2にとっては2年間の成果を発表するハレの日。眠気と戦いながら大学に急ぎました。それでも今年は10人なので午後のみという何とか持ちこたえられる日程です。各自のプレゼン(パワーポイント)を1つのパソコンに入れてしまっているので,交代時の時間的ロスはほとんどゼロ,スムーズな進行でした。ただパワポもいいのですが,スムーズすぎてなにやら分からぬうちに終わったものもあります。「総合演習」同様,派手なプレゼンはともすれば中身の深さが伝わりにくくなります。5時40分無事終了。長い1週間がようやく終わりました。

 「総合演習」全体発表会(2月10日)
 2回目の今日は小西グループの出番です。大教室前には懐かしい面々が久しぶりに集まっていて,本番前の彼らの昂揚した表情を見ていると,こちらにもエネルギーが湧いてくるようでした。教え子との歓談が元気のもとというあたり,やはり私も教師ですね(笑)。タンザニアみやげの絵葉書を配りましたが,とても喜んでくれました。20分間のDVD発表は,AVの効果というか演出が表に出すぎた感がありました。しかしそれは些末なことで,要は,八重山という共通の思い出をもとに1つの作品を力を合わせて完成させるというそのプロセスが大切。きっと,いい思い出になることでしょう。

 世事うとましく(2月9日)
 二度と行くものかと暴言を吐いていた人が帰国して3か月ほどするとインドが妙に懐かしくなるという症状を世に「インド病」と称しますが,それほどではないにせよ,昨日あたりから,雑用にまみれる日々が急速にうとましくなってきています。専門書を読んだり論文の構想を考えたりすることにはかえって意欲的になっていますが,その反動か書類作りや学内の交渉,会議などがいつになく空虚に思えてなりません。日曜帰国というパターンも一因かもしれません。単なる疲労のゆえだといいのですが。

 小雪舞う(2月8日)
 しばらくぶりで大学に来ると,メールや文書が1日では処理しきれないほど積み上がっているのが通例なのですが,今回はありがたいことに半日でその類の雑務は終えることができました。かと言ってすぐにペース復活とは行きませんでした。午前の講座会議を終え,午後は研究室の蛍光灯を取り替えて気分一新。土曜日に迫った修士論文口述試験に向けて,改めて論文に目を通し直しました。「しまった,ここをもうちょっと!」という思いは,たぶん院生と同じでしょう。

 無事,帰国しました(2月5日)
 出かけた一番遠くの地点にある村には,電気・水道はもちろんのこと「地名」などという洒落たものもありませんでした。村はずれの丘の北には地平線まで草原が続いていて,そのどこかにケニアとの国境線があるはずなのですが,そんなものは「クソ食らえ」です。ヨーロッパ近代はもとより人類文明そのものを蹴っ飛ばしたような世界に時折迷い込むと,死海に浮かんで砂漠の熱風に吹かれている時のような心地よい虚脱感があります。とは言え,帰宅して,明るい浴室で濁りのない熱い風呂に入ったときの心地よさもまた格別なものがありました。

 書類完成(1月25日)
 早め早めに準備を進めてきたおかげで,自己点検・評価報告書(講座分)が今日の会議で了承されました。お昼休みには事務に出すことができました。実際に点検・評価するのは1年後で,そのための達成目標を今回書かされたわけです。教員個人としての業績報告書もお昼には提出しました。また,講座の先生方のご協力を得て,『大学院ハンドブック』の改訂資料も出揃いました。たぶんここまで準備を進めている講座はウチだけでしょう。修論も完成し,ようやく一区切りついたか…という感じです。

 ライブドア事件と大学改革(1月23日)
 粉飾決算と違法株取引で巨額の富を得て,いま素人投資家を巻き込みながら奈落の底に落ちようとしていいるホリエモンですが,ここで明らかになったのは,市場経済至上主義の歪みの恐ろしさです。謙譲,礼節,矜持などが死語に近くなって,手っ取り早い結果ばかりが幅をきかすという風潮は,不幸なことに大学という学問の世界にも及びつつあります。自己点検・評価の書類作りに追われているからではないのですが,ノーブレスオブリージュだけでそこそこの秩序が維持できるような時代は,もう夢のまた夢なのでしょうか。粉飾論文や違法引用が続出なんて事態にならないことを祈るばかりです。

 センター入試監督(1月21日)
 過去3年間,「総合演習」八重山実習とぶつかっていたので監督は免除してもらっていました。久しぶりです。覚悟していたとは言え,まあ忙しいこと。試験と試験のあいだの休憩は受験生からみると45分なのですが,監督側からすればほとんどありません。トイレに行ってお茶を一杯…で,おしまい。「はい,お次お願いします!」の声にせかされて教室に舞い戻る姿はさながら長良川の鵜。日数を増やすのも不可,科目数を減らすのも不可となれば,1科目あたりの試験時間を短縮するしかない??

 長江小学校研究会(1月20日)
 昨夜は稲井先生(02年度修了,附属小学校)が午後10時に川村先生(同,栃木県・小学校)が11時前に尾道駅前のホテルに到着。3人で深夜の町を徘徊してようやく夜食の場所を見つけて一息つきました。今日はバスで会場へ。600人の参会者といいますから,附属なみかそれ以上の盛況です。道徳教育にはまったく門外漢ですが,02年度修了の金野先生による提案も授業も興味深く学ぶことができました。昼休みには尾道北高等学校に行き,門田先生(97年度修了)におみやげを渡すこともできました。15時過ぎに退出。岡山で夕食をとって川村先生と別れ,稲井先生と一緒にバスで鳴門にもどりました。

 東奔西走(1月19日)
 朝一番のJLで東京に飛びました。10時過ぎには目黒の都教委研修センターに到着。来年度以降の現職教員派遣の方向についてお話を伺い,こちらからは教職大学院に関する情報を紹介しました。近くのホテルで1000円の昼食バイキングをかきこみ,品川では5分の乗り継ぎで「こだま」に乗車して静岡へ。静岡県教委訪問は初めてでした。県庁から10分で新幹線ホームに舞い戻り再び「こだま」で名古屋へ。寒風のホームで夕食を買い込んで「のぞみ」に。幸い京都で座れたので弁当を開くことができました。

 出張の谷間(1月18日)
 昨日は川崎市教育委員会と千葉県教育委員会にお邪魔しました。川崎は初めてでしたが千葉はもうすっかりお馴染みになったところです。17時発のJALで徳島にもどりましたが,昨今の多忙もあってずいぶん疲れました。明日からはまた上京というなかで,今日は会議が2つ。午前の講座会議では押し寄せる書類提出要請をものともせず「総合講座」らしくてきぱきと作業を進めました。午後,M2の2人が完成した修士論文を持ってきました。一緒に教務に提出に行きました。ゆっくりと2年間を振り返る時間もなく,午後は第2部教員会議。その他,この「谷間」に処理すべき要件が山積。本当に慌ただしい1日でした。

■ 横浜へ(1月16日)
 学生課就職支援室の藤田さんと一緒に挨拶回りに出かけました。まず横浜市教育委員会を訪れました。現職派遣要請で市教委にお邪魔することは通常はないので,ここぞとばかり大学院の宣伝をしました。つづいて神奈川県教委へ。ここは修了生が3人もいるなじみのところです。会談終了後ホテルに荷物を置いたあとまた引き返して,通常の勤務を終えた「修了生」3人と再び合流して中華料理の夕食会となりました。退職された社会系の野村先生も上野から駆けつけて下さり,港の夜景を楽しみながら,ひとしきり思い出話に花が咲きました。

 大学教員の任期制(1月14日)
 もめています。先日は「本学は附属や地域との連携を重視するから教員の流動化につながる任期制は反対」とする新しい議論が出ました。しかし「着任以来附属には行ったことはない。今後も行かない」と豪語している教員もいますので,「こういう人に転出願うためには任期制が必要」という反駁が可能です。また「ローンを組めないかも」という反対論も,「困るのはローン会社や銀行だ」とする反駁が可能です。ことほど左様に,議論は屁理屈の応酬にすらなりかねないレベルに低迷しています。だれかが泥をかぶって日本的解決に持ち込むしか手はないのでしょうか。

 一息(1月12日)
 昨日の講座会議は重要議題目白押しで,,珍しく12時30分までかかりました。大学院ガイドブックの改訂作業,教務委員会報告,来年の「総合演習」の計画,来年度の時間割確認,自己評価の書類作りその他。午後開催予定の人事委員会は前の会議が長引いたあおりで予定よりも2時間以上遅れて開始。私の出番は6時をすぎていましたが人事案件は無事「通過」。ホッと一息です。今日はM2の河野さんがほとんど完成した修士論文を持ってきました。ひさしぶりに本来の業務です。この期に及んで章立て変更指示を出しました。ま,何とかなるでしょう。

 さすがの作文屋も…(1月10日) 
 目の回るような1日でした。一番の厄介事が自己評価・自己点検の書類づくり。講座としての来年度の抱負を書いて提出しなければなりません。それを1年後に自己評価するというシステムです。どこまで実効性があるかは疑わしいのですが,走り出したらついてかざるを得ません。このほか『大学院ガイドブック』の改訂作業や授業公開のお知らせ文書づくり,講座会議の案内状づくりなどに忙殺され,さすがの作文屋もぐったりです。退職された法律学の野村先生と16日に横浜で会食することになったのが,唯一のうれしいニュースでした。

 年賀状から(1月9日)
 「教頭1年目はやはり大変でした」(K.Sさん)。「鳴門がどんどん遠くなっていきます」(H.Sさん)。「あと1年特学を担任し,まずは引きついだ子どもたちを卒業させようと思います。その後は通常学級の担任として交流学習の研究をすすめようと思っています」(T.Sさん)。「命の深さをアカウミガメを通して子どもたちに伝えています」(A.Kさん)。「教育論を真っ向に反映させた理想の中学校づくりに4月着手します」(Nさん)。「自然の前には思いの外弱い社会であったと思い知るこの頃です」(N.Wさん)。最後にわけのわからないのを1つ。「兵教のためにお力添えを」(兵教の教員某氏)。????

 日程調整完了(1月6日)
 昨日も4日に勝るとも劣らない多忙な1日でした。四方八方から用事が降り注いでくるという感じです。『児童教育』誌の方はなんとか仕上げましたが読み返す気力もなく,とりあえず送りました。「総合演習」の会計報告を作成中にもNHKから取材についての問い合わせ電話,教務からは修士論文審査委員名簿の確認電話などが押し寄せました。今日は午前の日程をキャンセルしたので少し余裕ができました。出張の日程調整が終わり,20日には無事,金野先生(02年度修了)が基調提案をする尾道市立長江小学校の研究大会に顔を出せそうになってきました。

 新年早々(1月4日)
 てんてこ舞いです。仕事始めの儀式終了後,村田理事室に呼ばれ,1月中に2回出張を頼むと言われました。1月はすでに尾道の研究会に出かけるつもりでしたし,26日からは海外です。おまけにこの出張は相手がある用務なので日程調整はじつに困難を極めついに休戦。翌日まわしです。田中理事からi依頼されていた文書を大慌てで作成して届けたあと,お茶の水附属小学校の『児童教育』の原稿修正にかかりましたが,これが膨大な量で,夕方までに仕上がらず,こちらも休戦。早々から大変な一日でした。

 四万小ふたたび(1月1日)
 「教育実践研究」でお世話になっている高知県の四万川小学校から,脱藩の道ウォーク2004の記録VTRが12月始めに送られてきていました。それまで手元には04年度修了の原田先生(愛知県・小学校)が撮影した映像しかなかったのですが,今回,四万小の先生が撮られた貴重な映像も目にすることができ,両者を再編集して「決定版」を作ってみたくなりました。実際には面倒な作業になると思いますが,でもやりたいと思わせるに十分なぐらい子どもたちの素敵な表情が満載でした。2時間を一気に見ました。2006年元旦の感動的な”初ビデオ”でした。



研究室日誌  
     2006:JAN/FEB