学会ホームページ完成(6月29日)
 3月半ばからヒマを見付けては細々と作りつづけてきた国際異文化学会のHPが今日完成し,西村先生の支援を得てASAHIネット経由でアップしました。平成15年の早春に1期生の稲井さん(附属小学校)にパワポの基礎を習い,その翌春に2期生の山中さん(和歌山県・小学校)にHPビルダーの基礎を習って,そしてようやくこういうHPを作れるまでに「成長」しました。もっとも,デザインには少々凝ったところもありますが,HP作成の技術としてはごくごく標準的なレベルです。

 悲しい話・二題(6月26日)
 今春修了した原田先生(愛知県・小学校)からメールが来ました。現場は毎日が地獄で,学年会ももてない忙しさだそうです。修了生からのこういうお便りに接するたびに胸が痛みます。同じメールには,ある大学の総合学習に関する講座をのぞいて見たけれど不完全燃焼だったというようなニュアンスの記述もありました。そりゃあ贅沢ってものです。昨年度四万川小学校のあの1年間にどっぷり浸かった身にとっては,世界中探しても満足のいく実践にはお目にかかれないでしょう。しかし,こういう慰め方しかできないっていうのも,悲しい話です。

 競争的環境だって(6月25日)
 土曜日恒例?の「だってシリーズ」第3弾。確かに大学にはぬるま湯的側面が多々ありますから,それは結構な事なのですが,しかし競争というなら全員が競争するべきで,一人競争には参加せず,それどころか勝敗の決定権を一手に握って悠然としている組織があるのは明らかに不公平。昔は行政指導などというオカタイ表現だったのが競争的環境というカッコイイ表現に替わっただけで,結局は自分たちの気に入る方向に強制的にもっていこうとするその姿勢にはまったく変わりはありません。いや,以前の方が書類が少なかった分だけ平和だったかもしれません。美しいコトバには要注意。

 フツーの生活に?(6月23日)
 ようやく普通の生活ペースがもどってきました。とは言え,7月3日の日本国際文化学会での発表の準備や人事関係の作業がありますし,そろそろM2の修士論文がかたちを現してくる頃合いですので,その指導も本格的に始まります。また,8月に開催されるお茶の水女子大学の附属学校園合同勉強会の席上で四万川小学校の記録ビデオを使った報告をすることになったので,そのための準備が必要です。おっと,7月末の琉球大学附属小学校での講演の準備もそろそろ。というワケで,ドタバタ人生に変わりはないようです。

 谷村先生の授業(6月21日)
 またまた出かけてきました。今日は,「今の子どもはわからない…という世代断絶論と,大人と子どもの境界が曖昧になってきた…という断絶消滅論」の矛盾する2つの現象をどう説明するかについてみんなで考え合うというものでした。私なんぞはこの矛盾を純粋の論理パズルとして説明してしまって先生に白い目で睨まれましたが,受講生はみんなマジメに「価値観」「経験」「自立」などのコトバを使って熱心に話し合っていました。最後にアリエス『子供の誕生』が登場したのには,なるほどと思いました。

 幕切れ(6月20日)
 1か月に及んだ書類書きの仕事がようやく今日終わりました。9時からの会議で,副題など最後の修正を話し合いました。大掃除のときのホコリのようなもので,叩けばいくらでも出てくるものです。しかしもう時間的に限界。で,ご苦労様と晴れやかに終われればよかったのですが,ここまで全然会議に加わらなかった人が今頃になって朱書きを持ち込みました。その非常識さにはまったくあきれかえるばかりですが,官僚世界にっどっぷりと浸かっていると,藤原道長的な体質も出てくるのかも知れません。と言うわけでいささか後味の悪さは残りましたが,勝負はこれまで。あとは知らないっと。

 教育現場のニーズだって(6月18日)
 現場のニーズを踏まえて大学院での教員養成を見直すべし…との指摘は一見もっともです。しかしはたして「現場の声は神の声」なのでしょうか。たとえば小学校英語や百マス計算などは保護者や地域のウケをねらった現場の一種の保身欲求という側面がありますし,「これで満足」と思っている教員からは「授業研究会のあり方を変えたい」というニーズはまず出てこないでしょう。そもそもニーズとは何かを現場とは違った視点から提起してこそ大学院なのですが,このまま行くと大学院がタダのご用聞き機関になってしまいかねません。「現場のニーズを」という人は,本当に現場のことを考えているのか,怪しまずにはおれません。

 「最後のあがき」あるいは「とどめの一発」(6月16日)
 5月18日から始まった例の書類書き作業ですが,昨日になって重要な情報が新規にもたらされ,それを踏まえて相当量の修正を行う必要が出てきました。鳩首協議の結果,私が最初から文章を全部見直すことになりました。自宅にもどり午後8時作業開始。11時すぎに完了しました。ところが大学への送信段階でこの修正原稿が突如行方不明になり,藤村先生と電話連絡をとりながらパソコンじゅうを探し回ったのですが見つからず。結局,午前2時20分までかけて一からやり直しました。その割にはすこぶる元気で,今日の16時からの修正案検討会議には間に合わせることができました。

 谷村先生の授業(6月14日)
 今週から火曜日3時間目の「総合学習総論T」は谷村先生の担当になります。私の話がどういうふうにつながっていくのかも楽しみで出かけました。前半は,自分の生い立ちも絡めた総合学習論でした。ほとんど無駄のない,それでいて暖かみのある話しぶりに脱帽。抽象的で難解な業界用語やヨコモジの名前を並べるだけの「難しい話」なら素人にもできるのですが,今日の授業のように日常語で語られる身の上話でありながら,ゾクッとくるようなインテリジェンスを感じさせる講義というのには,そうそうお目にかかれるものではありません。いい勉強になりました。

 久しぶりにゆったりした月曜日(6月13日)
 太田先生から正式にバトンタッチした「文化間教育総論」の授業が今日から始まりました。”新製品”はパワーポイントの冒頭のいわば表紙に外国の風景写真をもってきて,そこに表題と日付を記入したという工夫です。毎回風景は変わります。今回はエリコとイエルシャライムの中間にある海抜ゼロb標識でした。このスライドを見ながらひとしきりイスラエル関係のおしゃべりをしてから本題に入りました。本題の方は「国際理解教育ってヘン」というもの。相変わらず過激な内容です。授業の合間には学会のHPづくりをやりました。かなりアイデアも煮詰まってきました。

 理論と実践の融合だって(6月10日)
 教育言説の軽佻浮薄を象徴するようなこのフレーズを,最近出た「中教審の専門職大学院ワーキング議事記録」にも見付けて,もう暗澹たる気分です。めでたく両者の融合が実現した暁には,理論でもなく実践でもない,いったいどのような怪物が出現するのか,そのツラを早く拝んでみたい気がします。本学ではよりによって国語科教育の教授が気軽にこのフレーズをふりまいていますが,それも言うなら「理論と実践の相互補完」でしょう。この程度の表現力もない人が集まって教育実践学というこれまた不可解な「学問?」を作りあげて悦に入っています。日本の教育は,はてどこへ行くのでしょうか。

 温泉気分も束の間(6月9日)
 昨日は講座会議がありました。元気な顔が久しぶりに合同研究室に揃いました。昨日の午後から今日の午前は珍しく年休をとって神山温泉に出かけました。ちょっとのんびりしましたが,疲れはまだまだ残ったままです。12時30分に大学にもどり,すぐに講座主任会。これを終えて部屋にもどると田中理事から留守電が入っていて,またまた例の書類の修正のお願い。理事室で結局90分協議して部屋にもどり,すぐに修正開始。夕刻,その理事と教務部長と3人で鳴門市教育長への挨拶をすませて大学にもどり,修正ファイルを事務に送りました。この日誌も最近は同講座の西村先生のHP日記に雰囲気が少し似てきました。

 半歩復活(6月7日)
 もとのペースに少し戻り始めました。昨日は中断していた学会HP作成作業を再開しましたし,4時間目の「文化間教育総論」(カウンター・カルチャーの話)の授業見学をして来週からの引き継ぎに備えました。と言っても,完全に「書類作成」業務から解放されたわけではありません。大学院が休講になった今日は,まず13時30分から徳島市教育長への挨拶,16時30分からは徳島県総合教育センター長への挨拶ということで,教務部長,同課長,田中理事とともに背広着用で出かけました。幸い帰途は我が家の前を通るルートだったので,早めに帰宅することができました。

 土曜出勤(6月4日)
 がんばって出勤です。例の書類書きですが,新しくメンバーに加わった先生が,少々これまでの議論とはずれる視点を提案されたものですから,その処理で真っ青です。提案自体は会議の趣旨からすればまっとうなものなのですが,これを既存の文章の流れに押し込める(ないしは押し込めたように見せかける)のが大変なのです。同一の平面上にある要素なら付加は簡単なのですが。新しい図をもう1枚追加することにもなって,「土曜日は昼まで」という当初予定は大幅に狂い,結局5時までかかってしまいました。この一連の仕事にもそろそろ「むなしさ」が漂ってきましたので,これが潮時です。

 附属小学校授業研究会(6月3日)
 と言っても,午前9時から例の会議。書類の大枠は一応固まっているのですが,この段階まで来たら来たでまたいろいろと注文は出ます。本人も加筆したい部分があります。というわけで,明日の土曜日に再度修正作業をすることにしてお昼過ぎ附属小学校へ急ぎました。こういうスケジュールですから授業者の坂田先生には申し訳なかったのですが,寝不足で体調は最悪,頭も授業研モードとはほど遠い状態でした,。それでもなんとか勤めをはたし校長先生とおしゃべりして夕方自宅にもどりました。お天気がよかったわりには今年の参会者は少なかったようです。

 パソコン退院(6月2日)
 昨日昼に修正案を完成させ関係者に送信し終えてほっと一息ついたところへ,パソコンがもどってきました。HDではなくマザーボードを呼ばれているもっとも基礎の部分の不具合だそうです。べつに落っことしたわけでもないので,たぶん機械の欠陥が何かの弾みで表面化したのでしょう。いずれにせよ,作成中の国際異文化学会のHPも含めて文書はすべて無事で,1週間前の状態に完全にもどりました。やれやれ。今日は小雨。午前中は佐古小学校校内研究会でのお話の準備をしました。13:45のバスで出発。15時過ぎから「社会科と総合」についてお話しして,帰りには附属小学校で大宮先生たちとおしゃべりしました。今日はちょっとのんびりしました。

 地獄は続く(5月31日)
 昨日の会議では,いろいろと新しい視点も出てきたので,文言修正以上に新要素をどのように組み込むかという新たな仕事が出現しました。会議終了後,すぐに作業をはじめました。次回の金曜日の会議に備えて早い方がいいので水曜日には関係者に修正案を送信するつもりでまたまたエンジンフル回転。今日はさすがに2時間目の授業を,パートナーである太田先生にお任せしました。3時間目もうまい具合にパートナーの谷村先生がほぼやってくれる手はずになっていたのですが,昼前に「風邪でダウン」との電話。2時間目のツケが3時間目にまわった格好でしたが,そこそこ本人も楽しんで70分の臨時?講義終了。合同研究室のパソコンにもかなり慣れてきました。

 反動の反動(5月29日)
 昨日は反動の反動でどっと疲れが出ました。疲れたら行く東京温泉に行く気力もない状態でした。ホテルでの書類修正作業がそこそこうまく行ったことと,おいしいラーメン屋さんにめぐりあったことが昨日の収穫と言えば収穫でした。今日は予定より1便早い飛行機で鳴門にもどり,そのまま大学へ。じつはわがパソコンのHDは無事で,藤村先生が重要データをDVDに落として下さっていたのです。それを入手し自宅に持ち帰って,東京のホテルで仕上げた修正を入力していきました。夜までにはなんとか出来上がりました。これで明日の9時からの会議に間に合います。

 上京(5月27日)
 第1便で上京しました。乗り継ぎがうまくいったので,上野からそのまま在来線に乗り続けて宇都宮まで行きました。ホームの立ち食いそばで昼食の後,タクシーで県庁南庁舎へ。栃木県教育委員会への現職派遣の挨拶ですが,この仕事はもう慣れているので気楽に完了。バスで駅にもとりコンビニでおむすびを買って電車の中でほおばり小山へ。駅から10分ほど歩いて川村さん(02年度修了)の待つ第2小学校へ行きました。40分ほどしか話はできませんでしたが,おみやげの鳴門ワカメをずいぶん喜んでくれたのが印象的でした。帰途も在来線で池袋経由茗荷谷へ。駅前のイタリア料理店でお茶の水の先生方とワインを飲みつつ5時間も猛烈なおしゃべり。地獄の毎日の反動でしょうか。

 毎日が地獄です(5月26日)
 ホッと一息と思ったのもつかの間,今朝出てきてみるとパソコンが起動しません。さすがの西村先生の手をもってしてもダメ。とにかくXPが立ち上がらないので話になりません。例の提出書類は昨日の会議用にプリントアウトしたのでいざとなれば再現は可能ですが,ハードディスクがやられているとすれば被害甚大です。すぐに業者の方に来ていただきました。ちがうHDを入れても動かないので,「その手前」だろうということで,機械一式入院。その前に藤村助教授がHDから重要データを取り出す仕事に挑戦してくれることになりました。この成否がカギです。というわけで,お昼には附属小学校の大宮先生が研究室に昼食持参で訪ねてきてくださったのですが,気もソゾロ。明日からの出張も控えてまた地獄に逆戻りです。昨日夜,別府血の池地獄から「毎日が地獄です」といううちわが届いたのですが,その通りになっています。

 猛スピード(5月25日)
 構造図が一応仕上がったのをうけて,月曜日から本文の作成にかかりました。ありがたいことに話の大筋が決定したので,あとはひたすら書くのみ。昨日はそれでも2時間目と3時間目の授業をしっかりやって,そしてひたすら書き続けました。文科省あての書類書きですが,ある程度は慣れもあります。昨日の夕方にほぼ出来上がり,今日は16時からの会議に備えて午後の教授会も研究科委員会もさぼって最後の仕上げ。会議では小西プランが大枠で賛同を得られました。あとは他の人の注文を加筆していけばいいだけになります。ホッと一息。

 小雨の日曜日(5月22日)
 土曜出勤は珍しくないのですが,今日は日曜出勤。コンビニでカップ麺とドリンク剤を買って乗り込んで来ました。書類書きというのはもちろんさほど楽しい仕事ではないのですが,一つメリットはあります。ワードを使った描画のテクニックがずいぶん上達したことです。これまでは院生に頼むこともあったのですが今回は内容的にそれもかなわず,頼みの藤村助教授は里帰りというわけで,手引き書とにらめっこの独学独習。0.01ミリ単位の修正もマスター。おかげで稲井先生(附属小学校)の学習指導案程度の複雑な構造図をカラフルに描けるようなりました。

 大学院説明会(5月21日)
 記念講演をお願いした中元先生(品川区立日野中学校長)を空港までお迎えに行きました。JALは例によって10数分遅れで到着。すぐにタクシーで小鳴門大橋経由大学に向かいました。絶好の五月晴れです。昼食のあと12時45分から「魅力と迫力のある実存的教師となるために」という題でご講演いただきました。静かな話しぶりですが,やはりド迫力です。ああいうのを「身体的な語り」というのでしょうか。冷や汗をかいた現職も少なくなかったはずです。14時15分から始まったコース別懇談会ですが,今年は8名もの来場者があり盛況でした。6人の教員の息がこれまたぴったりでしたので,すごく楽しい懇談会になりました。今春修了した松永さん(附属小学校)が大活躍でした。

 忙中忙(5月19日)
 大学院紹介ビデオに出演してくれたもと近森ゼミの川人さん(鳴門市林崎小学校)にDVDを届けてから大学に向かいました。後で知ったのですが,ちょうどそのときは空き時間だったそうで惜しいことをしました。午後はM2のゼミ。一応の章立ても出来上がり,いよいよ自力で山に登るという段階にまで来ましたので,今日はその壮行会いったところ。ゼミ単位のアルバム用記念写真も撮りました。のんびりできたのはここまで。15時からの会議を受けて,文部科学省に提出する書類作りという地獄の3週間がスタート。これからは土日もない生活が続きます。覚悟していたとは言え…。

 忙中閑(5月18日)
 21日の大学院説明会でご講演いただく中元先生からレジュメが届きました。過激派(失礼!)の面目躍如といった感じの「戦闘的」なレジュメで圧倒される感じがしました。ご講演終了後の夕食会の手配もほぼ終わり,今日申し込みのあった附属学校部長を含めて7人での会食となります。講座会議終了後は新作の「大学院紹介DVD」を視聴。なかなかの出来映えです。午後は部会議をはさんで3時間ほど国際異文化学会のHPづくりに専念。18時30分からは2部懇親会。難問いまだ山積ではありますが,今日は忙中閑。社会系修了生の平井さん(熊本高校)から初メールが届きました。

 例によって出張明けの月曜は(5月16日)
 今回はメールが50近くも来ていました。その返事書きやHPの改訂,そしてまさにこの「日誌」の書き加え,それに出張報告書の作成などでお昼過ぎまでかかってしまいました。明日の2つの授業の準備は出かける前にすませてあったので,今日の午後は久しぶりに授業を見学に行きました。5時間目の近森授業は「いのち」に関するじつに包括的な内容で,出張疲れの頭にほどよい刺激と癒しを与えてくれました。この内容に谷村先生(教育情報人間学),太田先生(文学的人間論)の知見を加味すれば完璧の布陣。「現代教育人間論」(後期)もバッチリでしょう。

 目から鱗(5月14日)
 講演終了後よく言われるのですが,その私自身が目から鱗の落ちる思いだったのが,九州出張の往復の機内で読んだ『予備校が教育を救う』(丹羽健夫,文春新書)です。予備校と行ってもピンキリで,ここで紹介されているのはもちろんピンの方ですが,予備校経営者の視点から現在の大学一般,教育学部の問題点,教員養成の問題点が鋭く描かれていて,なるほど視点を変えるとこういう説明がつくのかと感心しました。教員養成に日々携わる者として非常に参考になりました。お勧めの本です。もっとも教育学部の教員の中には,読み始めるなり烈火のごとく怒り狂う人もいるでしょうけれど。

 教育委員会訪問C(5月13日)
 朝,昨日会えなかった小部先生(98年度修了,県立致遠館中学校)がホテルに会いに来てくれました。8時6分佐賀発。豊肥本線水前寺駅からタクシーを急がせて熊本県教育委員会には約束の2分前に滑り込みセーフ。こちらの会談は一転和やかムードで,震災の話など大いに脱線しながらもお互いの信頼関係を確認するいい1時間となりました。聞けば96年度修了の川並さんは教頭先生になっているとか,駅前で早めの昼食をとって,「九州横断特急」で大分へ。15時から大分県教育委員会。こちらは新任の方で,非常に真剣に話を聞いて下さいました。熊本でもそうだったのですが,「資料をもっと欲しい」との要望を受けてその場で携帯電話で入試課に発送を依頼。猛烈セールスマンもどきです。夕刻,93年度修了の濱田先生の迎えの車で宿に向かいました。

 教育委員会訪問B(5月12日)
 寸前で復航指示が出て,わけもわからないまま40分ほど空中散歩をしたのち福岡空港に着陸しました。バスには何とか間に合い,13時には予定通り佐賀県教育委員会を訪問できました。担当は昨年とお同じ方でした。この方は現職教員研修等については一家言もった方ですし,佐賀県じたいも結構シビアな方向を目指しているので,会談は骨のある内容になりました。終了後,坂井満先生(99年度修了)の勤務地である富士町に向かい,夜は,坂井先生,93年度修了の小宮先生(市立勧興小学校教頭)のほか地元の先生方も交えて旧交を温めました。

 はじまりの終わりと終わりのはじまり(5月11日)
 講座会議でゼミ分けを決定しました。わずか4人なので作業そのものは簡単でした。結果は山崎ゼミに2名,藤村ゼミに2名です。ゼミ生10名以上も珍しくなかった村川先生は,在外研究の時を除いて恐らく初めてのM1ゼロというスタートとなりました。これで新入生受け入れ関係事務は終了。このままの体制で再来年2月まで順調に行くことを願うばかりです。一方,お昼休みには早くも修了記念アルバムの撮影がありました。M2が10名と教員8名。仲良く1枚の写真に収まりました。このアルバムが完成するのは来年の3月です。

 週明け早々の洗礼(5月9日)
 9時から文部科学省に提出する書類の文言検討の会議が始まりました。4月25日の会議の続きです。例によって小西ゼミの修士論文検討会を上回る超ハイレベルでの文言検討になり,予定の時刻を過ぎても終了せず,16時20分から第2ラウンドを行うことにして一旦解散。昼食のあとの空き時間を利用して大急ぎで明日と来週の火曜日の授業用パワーポイントを作成しましたが,こちらも会議同様時間切れ。第2ラウンドはそれでも18時20分には終了しました。次回は5月19日。これからが正念場です。

 教え子第1号(5月6日)
 30年前,初めて教壇に立ったとき(兵庫県立神戸高校)の教え子である嶋本さんが訪ねてきてくれました。彼と日本で会うのは本当に久しぶりです。彼はスペイン暮らしが長く,学生を連れて彼の地に研修旅行に行くたびに,案内をしてくれたり手頃なホテルを紹介してくれたり…と,こちらがお世話になりっぱなしでした。グラナダに居酒屋を開きたいという昔懐かしいお互いの夢を思い出しつつ歓談した午後は,学会HPづくりで疲れ果てた今年の連休の最後を飾るまたとない心安らぐひとときでした。

 連休の谷間(5月2日)
 今年は曜日の並びがよくて,その気になれば10日近く休むこともできます。もちろん現実にはそういうわけもいかず,今日の”平日”はしっかりと出勤しました。大学院入学案内の発送第2弾が主な仕事。社会系時代からの修了生たちや石垣島の真玉橋先生,東京のもと指導主事など,片っ端からお手紙を書き資料の袋詰めをしました。また,GP関係の情報交換や出張手続きの書類作成などの雑用も多く,予定していた昨秋のアイルランド研修のアルバム作成作業には午後になってようやく着手。CDを聞きながら作業をすすめました。

研究室日誌  
     2005:MAY/JUN